2007/6 出版いたしました。
    七十歳の太平洋航海記
2006年5月、70歳を過ぎた企業人・村田和雄氏が小型ヨットで和歌山からサンフランシスコに向けソロ航海に出発する。 その村田氏がヨット上から友人達に英文で発信するレポートをリアルタイムでお送りする冒険記である。
◇◇ 祝! サンフランシスコ到着 2006年8月23日 ◇◇
咲良丸は、一週間以内にゴールデンブリッジ下を走行して、サンフランシスコに無事到着予定(2006.8.15報)
(38)村田和雄−太平洋航海記−8月23日 SFYC到着

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(37)村田和雄−太平洋航海記−航海のまとめ(続)

(サンフランシスコ到着後、皆さんに写真を送りたく思っていますが、)今回の第50報(瀬戸内海での訓練期間を含む)が太平洋航海記の最後となる。 皆さんから頂いた励ましの、時にはユーモアある、メールの数々に心から感謝致します。 百日間は長くもあり、航海の終わりに近くなるにしたがい、何時もの感情も湧いてきます。

  会社食堂の食券束のように、毎日一枚ずつ使い、段々薄くなって、今日で最後の一枚となったような。 人生も同じで、子供の頃から、今まで生きてきた時間と残った時間を、よく比較していた。 確か十歳の時のあと残り人生五倍から始まり、4倍・3倍・2倍と、今は1倍以下。 まさに“Time flies.”で、人生で出来ることには限りが在る。 人によっては、貴重な時間を牢獄で過ごす。 彼らは、服役中に犯した罪を反省するであろうが、もし彼らが生きることの価値を本当に理解していれば、人生は全く違っていたであろう。 良くない社会は環境汚染と同じで、復元コストは高い。 善良な人々を育てるコストの方が、裁判所と刑務所を維持するコストより、ずっと安いに違いないのだが。

  人間も動物も、皆各々違った、しかしはっきりしたメッセージを万物創造の神(か大宇宙か大自然)から授かって生を受けている。 だが、神が決めるのは生と死だけ、生と死の間の管理も出来るであろうに、でも為さらない。 如何に生きるかは人間各個人が決める。 従って、幸福の尺度も、個人個人が自分で決める以外ない。

  私にとって、幸福とは何か有意義な目標に向かって全力を尽くすことと、その過程を常に楽しむこと。 それが、自分に命を授けてくれたことへの感謝のしるしである。 “Ich denke also bin ich.”(かな?ドイツ語はだめなので。) 人生は時間の長さでなく、自分の存在を意識する長さ。 高校時代に教わった諺を時々思い出す。 天は自ら助くる者を助く。 意思あるところに道あり。 総ての道はローマに通じる。 約50年前、堀江さんの20代でのサンフランシスコへのソロ航海に刺激を受け、自分も生きているうちに同じ事をしようと決心した。

その長い間の夢が、実現しようとしている。 毎晩就床前に、万物創造の神・今は亡き両親・先祖・自分までの長い生物のチェーン・航海の無事を祈っていてくれる家族と友人たちに、祈りを捧げている。 家族の協力と理解なしには、この航海は実現しなかった。 食料・食事を準備してくれた妻・子供たちが選んだ曲のテープを準備してくれた長男・航海用具を調査・準備してくれた次男・皆さんとのメールやり取りを管理してくれている娘。

多くの人々から、計画段階から航海中にわたり、協力と励ましを頂いた。 全員の名前は挙げられないが、海洋冒険家堀江夫妻・Delta Electronicsの創始者兼会長Bruce Cheng氏・ヤマハ・モーター会長長谷川至(Tim)氏とUSYヤマハの皆さん・レーザー協会会長木村嗣治氏・京都ヨットクラブ名誉会長大谷きみこ氏・Battery Bill Dr. Bill Wylam・同級生元山芳彰氏・San Francisco Yacht Club Gaby & Glenn Isaaksonご両人、の名前は記したい。 気象海洋コンサルタント代表馬場正彦氏に毎日予報を提供して頂いたお陰で、夜はぐっすり眠れ、老人の無事な航海が可能となった。 拙文を読んで頂いた皆様にも感謝の意を表します。 心ならずも失礼があったらお許し下さい。

あと一週間サンフランシスコへ向け、有名な強風区域の航行が残っている。 ドリフトしながらも、残り短い間大海原を楽しみたい−HIRAETH(郷愁)の気持ちを持って。 有難う御座いました。 皆さんも、良い人生を送れることを祈りつつ。

太平洋上にて(50報)
村田 和雄
(2006年8月16日3:07発信―日本時間)

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(36)村田和雄−太平洋航海記−航海のまとめ

大部分は、非常に厳しい経験であった。 それは自分の怠慢さと、長期間航海の経験がなかったことに依るであろう。 緊張の連続であった。

  ボートの進行方向チェック、風速、波、セール設定、キャビン内部からの音への注意力集中。 ボート表面での波の音には、ザ・ザー・コチョ・コチョとゴー、風音には、ヒュー・ウー・ビーや、ガッタン・カチカチ・カンカン、それと小さいセールの振動音。 ドーンはランドム波があたる音で、木でボデイを叩くような音。 ボートが木製なので、音は大きい。 キャビンとデッキ上に波を被ることは避けられない。 キャビンとチャンピオン・ウエイの間の境はシールしたが、キャビン内にも少しは海水が入ってくる。

ドー・ドー・ドー・ダーンは横倒しの音。 ダーンは、ボートが海水にぶつかる音で、海水がボートに当たる音とは違う。 音はボートの内外両方から出るが、総てがボートの状況を反映しているので、常に神経を使っている。 時間の経過と共に、これらの音への緊張度は下がるものだが、緊張を維持することこそ航海と考えて、緊張は持続させた。

健康維持優先であるから、睡眠は十分取るように勤めた(10時間以上ベッドで横になる)。 夜間のセール設定は、睡眠との関係で神経を使った。 風向きが変わる際に、セール設定がきちっとできた時はうれしい。 睡眠と同様、良い食事と体操も重要だ。

太平洋の北路横断は、大海を味わうには十二分だ。 曇りと雨が多く、移動性低気圧による風。 それでも快晴の日はあったし、スターダストの夜もあった。 凪も経験した。

ランドム波を避けることは難しい。 無作為に発生する。 色々な方向からの波が合成されて発生する。 波は総て同じように作られるが、共鳴効果で巨大化する。 航空機の窓から何回も観察したが、ランドム波間の間隔は大体300mから1km。 大部分の波向はほぼ同方向に近いが、違う方向の波も合成され予知は難しい。 小さなランドム波は、通常10m以上の風速で発生する。

出向前は、衝突事故を心配した。 今も同じである。 相手は船ばかりでなく、色々な浮遊物もある。 日本近海では、20cmx5m位の木材が浮いていた。

堀江夫妻の忠告に従うよう心がけた。
(1) セール面積を小さくする。
(2) デッキは危険、波にさらわれないように。
(3) キャビンに居ること。
(4) セール・ダウン。
(5) 反対方向への航行も恐れずに。
(6) ドリフトは楽しむ。
(7) 中間点で、食料・水をチェックし、航行計画を練り直す。
航行技術は、ラグ・ボート(rugged boat)と索具と同じように大切だ。 瀬戸内海中島での訓練は、ボートとパートナーを組む上で役に立った。

ボートと索具の破損を減らすべく、ボートへの負担を軽減するように心がけた。 レーザー・デインギーでのスピード走行のスリルは最高。 エンジンは使用せず(終点近くでは使用予定)、 風とセールでの自然力航行のみ。

  ステアリングは色々あり、以下の方法を試したが、すべてある程度は機能した。
(1) ウインド ベーンの信頼性は高いが、或る程度以上の風速が必要。
(2) フィックスド ベーンは、ボートの直進性が優れているので、風上(上り)へアプローチ時とアビーム走行時によく使用した。
(3) フリー・ステアリングは、風が弱く、波は静かで、セール設定バランスが良ければ、使える。
(4) 電動オートパイロットは、航海中一度も使用していないが、終点近くでは使用予定。

セール設定には、色々な方法がある。 フアーリング・ジブ・サイズは連続して制御され、非常に有効であった。 ウイスカーポールを使うことにより、ジブのバリエーションが増える。 メイン・セール制御は、通常むつかしい。 普通の3段リーフに加え、4段リーフを装備した。 3段メイン・セール・リーフィングも試みた。 ウインドワード・プロシーデイングで、高波に対応するのは難しい。 ビームかクオーターセールかランニングしかない。 追風走行はスムースだが、ローリングがひどい。 クオーターリーの方がよいが、嵐中は若干横倒しの危険がある。

横倒し時の破損防止用に、予備の水と燃料タンクはしっかりと固定され、総ての物も固定されているかネットが被されている。 バランスを保つために、一部の空になった水タンクに海水を入れた。

健康管理と怪我防止は重要。 ボート内は身体固定用に多くのロープを取り付けてある。 クオーター・バースで睡眠するときも、身体をロープで縛る。 歩く際は、固定ハンドルを使用する。 今までのところ順調で怪我はしてない。 デッキ上では、ハーネスに身体を結んで這って動くことが絶対必要。

子供たちが用意してくれた音楽300曲は非常に役に立った。 毎日音楽を聴き、ダンスを踊った。 水消費量は1日2リットル。 準備量は2.5リットル/日で余裕十分。 食事は、妻が私の人より大目の平均消費量から、100日分用意。 それに、多量のサプルメントとドライ・フルーツは良かったが、全体で20パーセント位残りそう。 食料は、一週間ごとに小分けされ、一週間用袋の中は、更に7日分の一日用袋に小分けされ、一日用袋には、朝食・昼食・夕食がセットされていた。 必ずしも正確に従わなかったが、この小分け方法は非常に良い。

衣類は非常に重要。 中島での冬期訓練から、冬用の衣類を持ってきたことは正解だった。 高緯度での北風は結構冷たい。 綿は湿度を吸収するので、ウール製品のほうが良いと思う。 MUSTOの悪天候用装備とブーツ(名前は忘れた)は大いに役立った。

  天気予報は有用。 しかしエンジンなしの小型艇には、悪天候は厳しい。 老人相手で、馬場氏は神経を使ってくれたに違いない。 彼に感謝したい。

途方も無く大きな自然と想像を絶する力を実感した。 自由と拘束・孤独・恐怖と生きていることの喜びを味わった。 十九世紀の捕鯨船の航海と船員達、米国に漂流したジョン万次郎、それから世界の漁師達のことを考えた。 彼らが、総てが未知の環境下で、遭遇したであろう困難さは今の比ではない。

太平洋の風・波・雲・霧・雨と海流・無数の海洋の生き物も―総てが太陽光で起こる。 古代人が太陽を神と崇めるわけが良く理解できた。 現代人が太陽に余り関心を持っていないのが気になる。 太陽に感謝する気持ちが欠けている―環境を考える上での基本かもしれない。

太平洋上にて(49報)
村田 和雄
(2006年8月15日2:21発信―日本時間)

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(35)村田和雄−太平洋航海記−持続可能な世界(5)

200年間持続可能な世界を創る為に、今後50年間に為すべき事の考察(最終)。
5. 方法と教育への提言
5.1 方法

5.1.1 方針
      人間のソフト改善
人間の世界で起こる総ての出来事は、総て人間が引き起こす。 従って、人間が変わらなければ、人間の世界は変わらない。 生産工場内で起こる事と比較すると、よく理解できる。 例えば、クレームが起きた時、前に述べたように、会社がクレームそのものだけに対応する場合には、抜本的な改良ではない。 人間がクレームを引き起こす。 製造機械が直接原因かもしれないが、その機械は人間が設計し製造したのだ。 議論を繰り返し、電話を掛けまくりともあるが、クレームを起こした生産ラインの人間は、余り大きな原因ではない。 人間社会も大体同じである。 強盗が物を盗んで牢獄に入る。 社会のコストは盗んだ物より高い。 もしその強盗に対する教育が適切であったら、彼は生活を楽しめ、社会コストも小さくて済む。 ここで必要なのは何も大学教育ではなく、基本的な教育である。

優良会社を作るには、人間そのものに挑戦しなければならない。 持続可能社会を創るのも全く同じで、他の方法はないと思う。 50年の歳月をかければ実現は可能のはずである。重要な点は:
(1) 情報システムを十二分に活用することで、それは今までの人類の歴史では可能でなかった。
(2) 幼児期に獲得したソフトは、身体の経験と組み合わされば、子供たちの人生で、長い期間機能するはずである。
(3) 世界規模で同じ教育活動が可能になっている。
(4) 唯の知識として教えるので無く、体に教え込むこと。

      社会システム改良
 貧しい環境で飢えに慄く状況では、人は健全な考え方は出来ない。 こういう事態の脱却には、現在のシステムを変える必要がある。 例えば、莫大な援助・支援がビルの建設(ハードウエア)や緊急飢餓対策に向けけられている。 後者は、避けられない場合は勿論あるだろうが、援助を受けた人々は段々と食糧援助に頼るようになってしまう。

 本当に必要なのは、人々が自分たちに必要な食料・建物・灌漑を、汗を流して作り出せるようにする事である。 それにより、人々は自信を持ち、達成感を味わうようになる。 現システムのもう一つの問題は、援助資金の一部は、それを必要とする人々に届かず、関係先に向けられてしまう事である。 多額の援助が緊急事態に向けられ、将来へ向けての改良のための資金は減り、悪循環状態が作り出されている。
   産業界でも、会社クレームが増えても本質的な対策を怠れば同じような悪循環が起こる。
 資金を如何に有効に使うかの問題である。 私の提案は、開発途上国で農耕・ダム・持続可能な灌漑などで協力出来る有能な人材を育てることにある。 本教育システム構築のための基本提案は、このようなリーダー育成にある。

5.1.2 予算
 本件は各国の安全保障の問題でもあり、各国がその防衛費の一定比率の資金を、この世界ベースの教育システムに毎年拠出する。 うまく回転するようになるに従い、各国政府は防衛予算を徐々に削ればよい。 資金は世界資金であり、国別・都市別等々に教育予算として割り当てられる。 上記リーダーは開発途上国に派遣され、資金が割り当てられる。 現在のODAシステムはかなり変革されよう。

5.1.3 手順
 決して簡単ではないが、情報時代でもあり50年かければ可能だと思う。 前述のリスク項目が現れる以前に、この教育システムは実行されなければならない。 モデルになる家庭・モデルになる街・年・国が現れれば、あとに続くものは勇気付けられる。 何を、どうやって、どういう方法で教育するかの具体的内容が重要であり、各国から代表者が集まり、数年かけて、世界標準を策定する。 最初のステップは、戦争経験のある、特に戦争で被害を受けた人々、罪を犯した人々、飢餓を経験した人々が中心となって、時間をかけて討議し、草案を作るべきと考える。

5.2 教育システム
    (1) 最終的には、世界中同一システムの構築を目標
    (2) 3歳から15歳
    (3) 必須科目は全教育科目の10−20%
    (4) 講義より体験を重視
 例えば、戦争の恐怖を教えるのに、生徒を一週間飢餓状態にして、本物の爆弾の音(頭上から焼夷弾のシュー音を)各生徒に聞かせる。 その後で、人間の死臭を嗅がせる。 そして、戦争について、生徒たちに議論させる。 一教題ごとに4−5項目の選択肢を与え、生徒に選ばせる。
    (5) 観察させること・考えさせること・自分たちで学ぶこと
    (6) ビデオなど情報システムをフルに活用し、出来れば現実を観察させること
    (7) 相手の立場に立って考える経験
 自分の考えがAで、相手がBであれば、A・B両方を体験させる訓練。

5.2.1 教育科目
   3−5歳児
生き物と遊ばせ、地球上で共存していることを実感させる。
 6−10歳児
自分たちが生存している意味― 数十億年の生物の歴史で、自分もそのチェーンにつながっていて、途中で切れていたら自分は存在しないこと。 他の生物も尊重する精神、特に人間の生と死。 フェアプレーの精神―英国では非常によく浸透している。 工場作業者の挙動は悪かったが、それがフェアでないことを自覚したら、自らよく直した。
 11−15歳児
幸福とは。 一週間の飢餓体験。 孤独体験。 自存の意味。 死の意味。 戦争と平和の意味。 道徳感。 汗を流して働く喜び。 3ヶ月の発展途上国体験(共に働く)。
16歳以上
食料不足地域で働いてみたい生徒には、農業・灌漑などの必要な教育機会を与える。 このような場合の教育費は世界資金から出し、実際の仕事に対しては高給を支払う。

5.3 評価
   定期的に、経費と成果の評価を実施する。 最初の5年間は、両親・先生・プロの評議委員の面談のみで、経費的評価はしない。
    6−10歳児
    社会評価。 市民による評価。 幼児の犯罪統計分析。
    11−16歳児
    少年犯罪データ・ボランテイア活動データ・現地人による評価。
    20歳以上
    社会費用(警察・牢獄維持・病院 など)
     5.4 結論
 以上は、太平洋上でまとめた一個人の発想をまとめたものである。 一読頂けたら幸いであり、もし将来の持続可能な世界の実現につながるようになれば、この上ない光栄である。
あと私に残った仕事は、サンフランシスコに無事に着くことと、残り少なくなった航海を楽しむことだ。皆さん、どうも有難う。

太平洋上にて(48報)
村田 和雄
(2006年8月14日1:49発信―日本時間)

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(34)村田和雄−太平洋航海記−持続可能な世界(4)

200年間持続可能な世界を創る為に、今後50年間に為すべき事の考察(続)。
4. リスク項目
4.1 人間の性質は変わらない
 人間の性質は千年間変わっていない。将来も、何か特別なことが起きない限り、変わらないであろう。

 最も聡明な人間の一人が、原子爆弾使用の承認書にサインした。 一本の美しいペンが紙の上を走ったのだ。 恐らく彼は自分のした事の意味を理解していなかったと思う。 もし彼が毎日一人ずつ人殺したとすると、一年で365人、十年で3650人、百年で36500人。 彼のペンは数百年毎日人を一人ずつ殺したことになる。 更に、それより多くの人々を、六十年以上の長きにわたり不治の原爆症で苦しめたのだ。 彼の心だけがそのペンが走ることを止めることが出来たのだ。 彼は同じようなサインを繰り返した。 何故二度までしたのだろう? 彼は死ぬ前に苦しんだであろう。 有名人であっても死に際に一人で苦しむ人がいるように。

 同じような事は世界中至る所で起こっている。 現在の人間の知恵レベルは、持続可能な世界を創造するには、不十分なのだ。 如何なる戦争も、ちゃんとした理由があって始まり、両サイドとも正当化する。 それは千年の間変わっていない。 人間の基本ソフトの改良が必要である。 リーダーは大衆の意見に従う傾向があるから、人類全体の改良が不可欠となる。

4.2 情報システムの爆発的進歩
 これは長短両面ある。 人間の反応は情報が引き金になって起こる。 情報は人間の五感に反応する。 情報システムの発達が進むと、現実と人工の環境に差異がなくなってくる。 現在は大きなリスクに直面していると思う。

 最近日本で不幸な事件が起きた。 両親が子供を度々叩き続け、とうとう殺してしまった。 この両親は毎日のように、自分たちの部屋でコンピュータ・ゲームを楽しんでいた。 つまり、人工の世界に浸る毎日で、彼らの脳中では現実と人工の幻想との差異が縮まり過ぎていたのだと思う。

 事実、以前に述べたように、我々は網膜上の光粒子に反応しているのだ。 この光粒子は、現実と幻想の場合とも、同じものである。現実と幻想の世界が近くなりすぎると、人間の性質は全く変わる可能性がある。 人は幻想の世界でも行動を起こすであろう。 現社会は段々とブラック・ボックスに依存するようになってきていて、人間は徐々に不利になりつつある。 一人では何も出来なくなるであろう。 情報は氾濫し、ブラック・ボックスの情報も非常に危険である。 真実とまがい物の区別がつきにくくなっている。

 質と信頼性も危機にさらされ、人間は本物の質をも信じられなくなってきている。 貨幣はコンピュータ間だけを移動するようになりつつあり、もし貨幣の信頼性が崩れたら、世界は大混乱状態に陥る。 人心の汚染が起こっているとも云える。
4.3 環境汚染
 大気汚染と水質汚染が重大である。 汚染が、ある水準を超えるとコントロール不能となり、我々の子孫が被害を受けて生存も出来なくなる。 発展途上国では環境汚染より経済発展を優先すべきとの議論もあり、難しい課題の一つだ。 先進国でも、環境汚染が自分たちへの脅威であることに気付くまでは、人々の対応は非常に鈍かった。
4.4 命
 将来は、人工的に寿命を長く出来るようになるであろう。 今のところ、世界の人々はこの意味において平等であるが、寿命と健康を金銭で買えるようになったら、社会のバランスは壊れよう。

 医薬抵抗性バクテリア・ビールスの脅威−化学品が使われる程、彼らの変性スピードが上がっており、このようなバクテリア・ビールスの大量発生の脅威が現実化する兆候がある。
4.5 マネーマーケット
 お金を稼ぐことが容易になるにつれ、人は汗を流して働くことをしなくなり、思考は人間として基本本的なものから幻想の方に偏って行くであろう。
4.6 人は、特に人間の基本的なことについて、段々考えなくなる。

太平洋上にて(47報)
村田 和雄
(2006年8月11日5:26発信―日本時間)

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(33)村田和雄−太平洋航海記−脳の情報処理速度

すばらしいスターダストの夜、美しい流れ星も見た。子供たちが親から教えてもらったように、願い事を祈ろうとしたが間に合わなかった。 流れ星は鮮明で、天体の10パーセントの長さがあったにもかかわらず。

先日、イルカの写真を取ったが、いい写真は取れなかった。イルカがすばしっこ過ぎた。 情報処理スピードの問題か、それとも年による対応力の劣化だろうか。 いずれにせよ、人間の情報処理スピードはコンピュータよりずっと劣る。 これは、電子あるいは光のスピードと人体内のイオンのスピードの差に依る。

我々は現実の世界に住んでいると思っているが、理論的にそうではないと思う。 人体内で、情報はイオンにより伝達されるが、イオンの移動速度は電子よりずっと遅い。従って、網膜から入る情報が脳に到達するのに若干の時間がかかる。つまり、我々は現実の世界よりすこし遅れた世界に住んでいることになる。 “夢のような人生”と云うが、人はまさに常に夢を見ている事になる。

スパーコンピュータは、超高速で情報処理を行うが、人間の決断スピードはイオン速度以上にはならない。為替や株のデイーラーは、このスピード差にチャレンジするのだろうか。 このスピード差を補うシステムが出来れば、新しいビジネスが生まれるだろうか。 オートメーションでは解決されているのだが。

太平洋上にて(46報)
村田 和雄
(2006年8月10日1:57発信―日本時間)

追伸:航海物体の群れについて
先に報告した件で、英国のステイブンソンさんから返事を頂いた。彼の娘さんは生物学者で、彼女はVellelaかクラゲの一種の”By the wind sailor”(風任せのセーラー)であろうと言う。 彼が調べたところ、By-the-wind-sailorは波の上で生活するヒドロ虫の生活集団(Colony)で、円盤状の浮きと垂直な帆を持つという。(途中省略) 太平洋と大西洋に住むが、陸地への風が続いたときなど、大量に岸で見つかることもある。 村田和雄(8月10日8:47発信)    以上 

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(32)村田和雄−太平洋航海記−持続可能な世界(3)

200年間持続可能な世界を創る為に、今後50年間に為すべき事の考察。
3. 現代社会の利点
3.1 情報システムの活用
 情報システムの発達は、人類の歴史上初めてである。人類にとって両刃の剣で、利害得失である。 インフラさえ整備出来れば、将来全人類への情報提供が可能になる。 既に世界中で起こりつつあるが、人々は“事実”を知ることが出来る。 子供たちに、或る程度まで同一の教育を、施すことが可能である。 人類数千年の歴史上初めてである。
3.2 交通の発達
 人々は足を運び自分の目で、事実を確認し易くなった。 資金さえ確保出来れば、若い世代はシステマチックに世界を知り易くなっている。
3.3 民主主義
 民主主義は利点である。 人類の歴史で、民主主義の国はあったようだが、有効な情報システムの機能なしには、長期間の存続は出来なかったであろう。 民主主義に公正な討論と投票は不可欠で、これらも情報システムなしには成り立たない。 従って、人類の歴史上現代は大きな利点を持っていると言える。 いまだ非民主国家は存在するが、末永くは続かないであろう。

 民主主義においては、若干のロスは認めなければならない。 それは、人心は振り子の如く、最良点の左右に振れるからである。 民主主義の最大の利点は独裁主義を避けられることだと思う。
3.4 科学・技術発展の活用
 実際の現場を教材に使うことが出来る。 公害・汚染・空気中のCO2濃度上昇・昆虫の超能力をスクリーン上にリアルに再現出来る等々。 
3.5 世界中から専門家の活用
 遠隔TVシステムで、リアルタイムで教育現場に参画可能となる。
3.6 資金の活用
 少なくとも、先進国に於いては、政府が理解さえすれば必要資金は出てくる(これも、卵と鶏の関係で、人民の理解なしには政府は動かない)。 その為には、現在の家庭・学校・社会での正しい教育不在の社会的損失を算出する必要がある。 節約可能な出費は明白のはずである。
3.7 何処からでも実行可能
 この教育システムは、家庭・町・市の各単位で即実施可能である。 良い結果が出れば、情報システムを介して評判は直ちに広まる。 このステージは開拓期として10年掛ける。 15年も経過すれば、この子供たちは既に社会人となっており、本システムがうまく機能しているか否かを実証してくれる。

 世界に広がる活動が少しずつでも実現する。 重要なことは、50年の長い計画を持って、小さくとも一歩を踏み出すことである。
太平洋上にて(45報)
村田 和雄
(2006年8月9日10:43発信―日本時間)

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(31)村田和雄−太平洋航海記−航海物体の群

本当に数千の航海物体を見た。透明で垂直な帆を持った奇妙な生物で、5cm程のセロフアンのように薄く透明な(厚み0.2mm)、貝の片面のようなプレートに立った半円状の帆があった。 最初の日は数個だったが、今は毎日千にも及ぶ数が海面を移動している。何かのサナギだろうか? 一体何だろう? 何故浮いているのか? 何処へ向かっているのだろう?

  以前にも違った浮遊生物を見た。花のように見えて、中央に1−2cmの核があり、その回りに花弁の形をしたサナギのようにも見えた。 私は全く知らないので、誰か知っている人が居たら教えて頂きたい。 ひ弱ですぐにも壊れそうな生き物が、荒々しい大洋にいること自体驚きだ。舵機能もないのに、非常にスムースに走っている。

このところ魚を見ない。 一度だけカツオの群れが数回ボートの進行方向でジャンプしているのを見ただけだ。大きな魚に追われていたのか、私への挨拶のショーだろうか。徐々に大きな船に出くわすようになった。 一日おき位に、レーダーウオッチマン装置がレーダー波を検知し、夜中に私を眠りから起こす。

太平洋上にて(44報)
村田 和雄
(2006年8月8日8:09発信―日本時間)
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(30)村田和雄−太平洋航海記−好きな場所

この航海は70歳記念だが、65歳で始めた「地球よさらば!」の一連の旅の七番目。妻と一緒に始めたが、今回は一人旅となった。今までに色々な所を訪問したが、私が気に入った場所をリストアップしてみる。

サウス・ウエールズ:第二のわが故郷。どこまでもやさしい緑の山々。見えるのは羊と馬の群れだけ。きれいな空(雨も多いが)と緑の丘、アブラナの黄色と牧草の緑の美しいコントラスト。ウエールズは帰る家。HIRAETHは、ウエールズ語で郷愁の意味。

モンゴル:ウエールズに似た美しい国。夏の間だけだが、ウエールズの緑の広がりがある。郊外は、咲き乱れる自然の花がすばらしい。いい経験だった。

英国の西海岸のLake District辺り:自然のままの海岸と強い風、美しい。
アイルランドのGalway:好きな場所だ。地の果てのような孤立した海岸。
台湾の墾丁(Kenting):南西の海岸。10月に出かけたが、静かで熱帯魚と一緒に泳げた。
北米のカナダ東岸、St. Laurence River沿い:秋がすばらしい。
日本では瀬戸内海:特に西側の孤島。

米国訪問は三十四歳の時が最初、それ以来自分が開発した製品のプレゼンテーションに、世界中を歩き回った。その時の経験から、もし生まれ変わったら、二十代はニューヨーク、三十から五十歳はパリ、五十から六十歳はロンドンに住み、引退後はウエールズと思っていた。四十台の頃の想いだが、今も余り変わっていない。

太平洋上にて(43報)
村田 和雄
(2006年8月4日5:16発信―日本時間)

訳者補足:(株)海洋気象コンサルタント 提供
咲良丸の現在地情報

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(29)村田和雄−太平洋航海記−スターダスト

空さん、こんにちは。
空って、誰に話しているの?
君だよ、空さん。
空なんて、ここには居ないよ。
じゃあ、君は誰だい。
空気、雲、それともチリか、宇宙? 昼間は見えないだろうね。
そこの汚染はどうですか?
データはないけど、青い空はチリ粒子で反射する光の反射でしょ。だから真上はブルー、水平線近くでは薄いブルーになるのさ。空気の組成によるけどね。大洋上ではチリは少なく、水蒸気が多い。
成る程。あの美しく神々しい空の色はチリ粒子ではなく、水蒸気で作られるのだね。ところで、雲の輪郭が、はっきりしないでぼやけているね。確か、雪も同じだった。汚染されていない雪は、輪郭も形ちもはっきり見えなかった。見たこともないような真っ白い粉雪の中に飛び込んだね。
ところで、セイラーさんはスターダストを見ましたか?
うん。先週ね。
ラッキーだったね。非常に稀な条件が揃ったから。あの日は、前日の昼間が快晴で、その夜は宇宙への輻射熱が空気の温度を急激に下げ、露となり海面に落ちてきたので、空気をきれいにまた透明にしたからね。何時もとは違うよ。
僕はついていたね。風の向きが変わった時のデッキからの音で、たまたま目が覚めたのだ。神様がスターダストを紹介しようと、起こしてくれたのだと思う。感動したね。デッキに寝転んで、宇宙を暫くの間眺めていたよ。水平線から20度より上は360度スターダストだった。天の川も勿論見えたよ。
雨が続いたことだし、君の笑顔はうれしいね。

太平洋上にて(42報)
村田 和雄
(2006年8月3日7:42発信―日本時間)

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(28)村田和雄−太平洋航海記−持続可能な世界(2)

持続可能な世界を考察する上での、基本的な理解として
2.1 人間性
* 基本的な人間の性質は、千年の間変わっていない。
* それは、人間が極端な状況に置かれたときに現れる。
* 人間の欲には際限がない。人間が極端な状況からどれだけ離れているかによって、欲望は金銭欲・名誉欲・貢献欲などへ変化すると言われている(Mazloe?説。富が蓄積されるに従い福祉欲へ移行、等)。
* 平常状態では、人間の挙動は回りの環境によって変化する。
* 人間の歴史は、時代ごとの劇場のドラマのようなもの。俳優たちは真剣に演技するが、似かよっている基本的性質は変わらない。人間のドラマは繰り返される。
2.2 人間とそれ以外の生物
* 生物は皆特技を持ち、人間より優れている場合もある(鳥・昆虫・魚などの場所と方向認識本能など)。
* 生物は常に競争している。山歩きをしていた頃、木々は太陽光を競って求め、より高く細くなる事に気がついた。生存競争に他ならない。
* 最近のDNA研究で、人間と他の生物の関係が明らかになりつつある。人間は単独に存在するようになったのではない。他の生物の進化の結果生まれてきた。
* 現人類は、アフリカで発生した。
* 近い将来、生物間の数十億年にわたる相関関係が明らかにされる。
* 生物の歴史において、人間以外の生物が他種を殺すのは生存のための食糧確保か家族・子供保護のためである。
* 人間が人間を殺すのは、神への生け贄か怨恨又は自分たちの利益のためで、他の動物とは全く違う。
* 人間の心は、受け取る情報によって脆く変わり易い。近年の、北朝鮮と東ドイツでの経験が良い例。
* 人間の幸福の感じ方には色々ある。幸福の度合いは測れない。個人個人の秤次第。幸福が金でなく、福祉でもなく、心のあり方であることに気がつくのは簡単ではない。或るイヌイット族は援助制度で破壊された。幸福とは何かが分かるよい例で、少なくとも金銭的富でない事は確か。
2.3 科学・技術の爆発的発展
* 人間は非常にユニークな生物。情報AとBを組合わせ、数百の情報を脳に蓄積できる特技を持つ。更に書籍・近代の情報システムも活用出来る。
* しかし、記憶されていない情報は活用出来ない。これは、人間誰もが何でも知っていると思い込み易いので、非常に重要なポイント。
* 人間は、情報を加算し増幅する能力があるので、科学・技術の急速な発展がある。一つの科学的発見は、数千に及ぶ他の科学分野へ影響を与える。技術も同様。
* 科学・技術は、癌細胞の如く、ひたすら発達を続けるのみ。
* 科学・技術の発展を、人間は最後にはブラック・ボックスのように受け入れざるを得なくなる。即ち、全体像が見えなくなり、原点に戻れなくなる環境に迷い込む。全体的な考え方が出来なくなる。人間の活動範囲は益々狭まり、一人の孤立状態では何も出来なくなる。
* ブラック・ボックス時代に突入すると、人間の感情にも影響が及ぶ可能性がある。つまり、人間の基本的性質が徐々に影響を受ける。
* 最後に、人間の欲望は五感の満足を得ることに進むようだ。
* 情報技術の発達が、それを後押しする。
2.4 情報時代
人間は、その歴史上始めてこの特殊環境に入る。
* 情報時代に終りはなく、人間生命の最終段階と思える。
* 人間の脳は、謂わば、発達したコンピュータに似ている。
* 人間の赤子は、同じような構造のハードウエアを授かって生まれてくる。
* 人間のソフトウエアは身体の経験と組み合わさってこそ、よく機能する。知識だけでは十分機能しない。
* 最初の頃のソフト(OS)が非常に重要に思える。
* 人の成長過程で、色々なソフトが脳にインストールされる。しかし、成長過程の早い時期にインストールされたソフトが、一生OSとして機能すると考えられる。
* 情報時代の、大きな障害は感受性、即ち目・耳など五感のセンサー機能である。
2.5 経済
* マクロとミクロの観点あり。
* マクロでは、人間の購買欲がある限り、需要は成長を続ける。
* ミクロの観点では、人間の購買欲を駆り立てるような新製品。
* 米国市場ではマクロとミクロの両需要が存在する。まだ、多くの移民が入り込み、米経済の底支えをしている。新製品は、他の層の国民が購買。
* 世界的には、BRICSの台頭があり、今後200年は現在型経済が続く。
* その後需要は飽和する。
* 課題は、需要ではなく他の抑制因子。
2.6 環境
* エネルギー
色々なエネルギー源が存在するので、それ程大きな問題とは考えられない。問題はコスト。太陽エネルギーは期待出来る。生存に必要最低限のエネルギー量は非常に少ない。
* 環境汚染
これは大きな問題と考えられる。復元コストは製品の生産コストよりずっと高い。特に大気汚染が問題。人々が日常生活で汚染を感じる段階に達していることは、既に遅すぎて復元は不可能。
2.7 精神分野
   過去50年間に、精神の世界は大きく変わった。特に若い世代の心の多様化が目立つ。それは、科学の発展が生物に関する知見を高め、人類の歴史を明らかにしてきた為である。それに、彼らの日常生活において心が情報で占められ、伝統的な人間としてのライフスタイルが減った為である。
2.8  政治
   政治は常に保守的な分野である。情報社会で独裁政治は育ちにくく、民主主義は人間の欠陥を補う。

太平洋上にて(41報)
村田 和雄
(2006年8月2日5:05発信―日本時間)

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(27)村田和雄−太平洋航海記−宇宙に行ってみたければ

ダイヤモンドが好きならば 太平洋に来るがいい
波浪にちらばり 太陽光に輝きながら
波の数ほど君を待っている

優雅なリングが欲しければ 太平洋に来るがいい
エメラルドとサファイアが 青に緑に光り輝き
波濤が砕け拾えるよ

孤独な時を過ごすには 太平洋に来るがいい
波頭に白いウサギたち 神の空には天使たち
君の来るのを待っている

宇宙に行ってみたければ 太平洋に来るがいい
満天の星の夜 デッキで眺めているだけで
宇宙が君を迎えてくれる

太平洋上にて(40報)
村田 和雄
(2006年7月27日6:42発信―日本時間)
(訳者受理8月4日)

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(26)村田和雄−太平洋航海記−水平線の彼方

波さん、今日は。いい日だね。
今日は。貴方も元気ですか。
元気だよ。この航海で最高の日だしね。
結構ですね。太平洋は初めてだそうですし?
うん。来て良かったと思うよ。昨日は、余りにも快適な日だったので、着ている物を脱いだ位だ。
それは知っているよ。年取ると、余り魅力的じゃないから、魚たちも寄ってこないよ。
済まなかったね。もう、しないと思うよ。
20年前迄、日本に居たので心配だよ。
日本は、何処に行っていたの?
水は動き回るでしょ。植物の中、動物の中、人間の体の中にも居たしね。
そうだね。君たちは、世界中から集まっているんだ。
そうさ。
どこが一番好きかね?
何処も同じところはないね。人間の体中だと、色んな化学物質と同居していて、いい時もあるけど、居心地のとても悪い時もあるね。
人間の体には、何人位入ったの?
人間の体に数千回、動物などにも数千回、植物は数百万回入ったよ。
じゃ、世界のことは良く分かっているね。
そうさ。何にも言わないけどね。
最近の世界をどう思う?
人間が、自分たちだけ楽しんで、他の事は考えてくれないね。特に他の生物のことは。
海の世界はどうかね?
太平洋の真ん中でも、プラスチックなどの人工物が多いでしょう。
本当だね。毎時一個くらいプラスチック浮遊物を見つけたよ。
こういうプラスチック物は、毎日毎日蓄積されているでしょ。
最近リサイクルを始めたけどね。
リサイクル?ちょっと遅すぎたね。海の世界では、数十億年前から、リサイクルしているよ。何でも、他の生き物の役に立っていて、無駄はないし。鳥たちも海面で、ちゃんとリサイクルの役目を果たしているでしょう。
確かに、そうだね。僕は、プラスチックも全然捨ててないけどね。
知っているよ。だから、僕たちもやさしく扱っているのさ。
有難う。でも、一度ボートが横倒しになったよ。
それは、太平洋を味わいたいと言うから、いいチャンスを与えたのさ。
成る程。ところで、水はずいぶん自由だね。
どういう意味で?何処でも、色々な所へ行くから? そう見えるかも知れないけど、水の分子は他の分子に押されて動くだけで、自由はないよ。押されて、下がったり、上がったり。行く場所がないと、蒸発もするしね。
噴水みたいに、しぶきになって上がるのは見たよ。
海水も、空気と同じで、分子個人は隣の分子に押されるだけさ。
成る程。自由に見えても、制約がいっぱいなのは、珍しくないしね。人間の社会も同じで、例えば、綺麗なものがあると、その裏には規制がいっぱいあるよ。
どこの世界も同じようだね。ところで、天気がいい日は、360度水平線が見えるね。水平線の向こうは何があるのだろう。波間が200メートルもある大きなうねりの頂上から見ると、太平洋は大きな、大きな丸池みたいだ、水平線が端で。その先は何だろう。360度水平線の先は、ナイアガラよりずっと大きい滝に囲まれているみたいだ。
本当だね。誰も見たことないから分からないけど。こちらが動くと、水平線も同じように動くから、不思議だね。

. 太平洋上にて(39報)
村田 和雄
(2006年7月28日4:47発信―日本時間)

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(25)村田和雄−太平洋航海記−持続可能な世界(1)

この航海も最終段階に近付いたので、課題の一つである「次の200年を持続可能な世界にする為に、この50年に為すべき事」についてまとめたい。過去200年間は、科学・技術の革新が続いた時代であり、数十万年の人類の歴史に於いても、顕著な時代である。200年前の人類が現在の世界を想像出来なかったように、いま生きている我々も200年後の世界を想像出来ないだろう。

人類の歴史で、各家族は自分達の子供と孫の代への準備はある程度出来ても、マクロな潮流に関しては無力に等しい。しかし、このマクロな環境変化は、知らず知らずに各人に影響を与える。この分野で専門家は多く、皆が色々な見解を持っているが、人類は過去から変わっていないし、これからも変わらないはずである。

しかし人類が生存している環境はどんどん変化し、それは今後も続く。この変化はコントロール出来ず、自動的に混沌とした社会を創り出す恐れがあるのではないだろうか。例えば、戦争・核爆弾を含む兵器・食料・エネルギー・バイオ等々、知識としてはよく理解されていても、それだけでは十分でない。長い将来を予測することが必要で、何か本質的なものが欠けているように思う。何かが起こると、その直接原因だけが議論され、あたかも「泥棒が増えたら、警察官を増やす」式の結論を出しているにすぎない。

産業界でクレームが起きた場合、そのクレームそのものを追求して、同じクレームが再び起こらないように製品を改良するような会社はエクセレント・カンパニーとは言えない。エクセレント・カンパニーは、社員の心と会社のシステムに本質的な欠陥の可能性を追求し、その本質を正す。トヨタの「持続可能なエクセレンス」精神はそこにある。

現在の世界が抱える問題は、人類が自ら引き起こしたのであって、人類が賢明であるならこれらの問題を回避出来るかコントロール出来る筈である。私の結論は、教育に辿り着く。では、どうすべきか。以前にリストアップした本は読み終わったが、自分は今太平洋で隔離され、偏見もあると思うので、是非議論に参加して頂きたい。「子孫に持続可能な世界を残す為に、我々がなすべきこと」。

私の考えているステップをまとめると、
1. このテーマについて議論する上での、取り敢えずの共通理解
2. 現在の人間社会の利点
3. リスクは何か
4. 教育制度への提案
これらの各項目について考え、まとめ、教育システムの提案を作成することを、本航海卒業のテーマとしたい。

太平洋上にて(38報)
村田 和雄
(2006年7月24日5:06発信―日本時間)

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(24)村田和雄−太平洋航海記−夜明け

夜明けの穏やかな海原 静かだが生きている
周りの総てが 海面でゆっくり動く
音もなく 絨毯を敷いているよう
ボートを包み込み 総てを濡らす太平洋の朝露
遠く水平線には 鉛のような雲

静かで誰も居ないのに 幕が開こうとしている
天からのスポットライト 水平線の裏から当る
水平線は 太平洋の大きなステージ
今日のショーは何 余りにも遠く見えない
見えるは 踊る銀色の光線のみ

天から降りてくる 今日の主役は誰
突如キャビンに差し込む朝日 ボートの揺れで左右に揺れる
日が昇り 水平線は火の如く燃え
霧が美しい虹になり 大洋上に大きなアーチを作る
たった一人の男に 何を語りかけるのか

太平洋上にて(37報)
村田 和雄
(2006年7月23日8:30発信―日本時間)

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(23)村田和雄−太平洋航海記−ロープに繋がれて
キャビン内での自分はサルのよう。手の支えなしには一歩も歩けない。寝ているときも同じで、体は二本のロープで括られている。百万年前のアフリカのサバンナに居るようだ。いやな気持ちではなく、いい訓練だと思っている。サンフランシスコで着いたら、サルの様に見えるのではないだろうか。タイピングは難しい。ボートは常に揺れていて、年中キーを押し間違える。

ひたすら東に航行するのが仕事。風向きの変化を読み、航行方針を立てるのは楽しいが、神経を使う。食料と水は、十分残っているのに、どうして先を急ぐのだろうか。常時2−4ノットのスピードを保ち、どんな条件下でも快適だ。時には向かい風、あるときは追い風で航行。夜中でも風が変われば、起きて調整し直す。ハーネス(身体確保用具)を使ってデッキを船首部へ這ってゆく。これが遅れると一晩中心配になる。

航行戦略を遅れないように立てることが重要で、天候コンサルタントの天気予報は、その為に非常に貴重。それでも帆走が,どうしようもない程遅いことがある。一日に1度東に進むのが目標で、今までのところ非常に運が良い。健康状態も良好。

太平洋上にて(36報)
村田 和雄
(2006年7月22日10:42発信―日本時間)

訳者補足
咲良丸の現在地情報
 (株)気象海洋コンサルタント 提供

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(22)村田和雄−太平洋航海記−人工と自然の美とバランス
私は、「美しい」と「バランス」の二語が好きだ。工場を訪問して、製造ラインでバランスが取れていて、従業員の作業がバランスしていれば、そのラインは美しく無駄はない。何事も同じで、美しければバランスがよく取れている。絵画も同じことで、色のバランスと構成のバランス。美には二種類ある、人工美と自然美。私は人工美も好きだ。人工美には、人の努力と哲学が感じられる。製造ラインも同じで、多くのアイデイアと努力が感じ取れる。

美術については、ちょっとした体験をした。30歳までは絵画に全く興味が持てず、どんな名画でも、自然の木の葉より勝るはずがないとの、強い偏見を持っていた。人間の作り出す美術品が神の創造物と競えるはずが無いと思っていた。学校の美術の成績も当然悪かった。30歳になった時に、人間の才能は時が経つにつれて変わるのではないかと考えて、家の窓から見える景色の油絵を描いてみた。桃の花の咲く期間は短く、絵を描き終えるのに1ヶ月は掛かり、想像画になった。色も構成も毎日変わって行った。腕前に進展は全くないと落胆していたが、同僚の一人から、会社のクラブの先生に一度見せたらどうだろうと言われ、躊躇しながらもそうしてみた。驚いたことに、その先生はいい絵だと言って、会社の受付ホールの壁に飾った。

これを機会に、美術に対する考えが変わった。腕前は以前と同じで進歩はしていない。絵画は、描く人の人生観・印象・感情と美を作り出したい心等の反映だと思った。自然の桃の花とは全く違う、新しくこの世で創造されたものだった。この一件以来、自分の判断基準は変わった。自然の美と人工の美は、全く異質のもので、美術作品は人の作り出したものと思うようになった。同じものは二つと存在しない作品。それ以来、パリ・ニューヨーク・マドリッド等の外国都市を訪れたときは、美術館に出かけるようになった。美術館がなければ、教会へ、そうでなければロンドン等では街のギャラリーを訪れるようになった。

すばらしい帆走はバランスが良く取れていて、エネルギーロスも少ない。しかし、現在の人間社会はバランスが余り良くない。食料・エネルギー・空気・自然界の活用・富において、バランスが取れていない。民主主義は人間社会のすばらしい発明であり、本来自動的にバランスが取れるように機能するはずだが、それを構成する個人個人のゆがみが大きすぎて信頼性も十分でない。民主主義でもロスはあるが、大きなロスは多くの意見のバランスで防げるはずだ。人類の歴史の中での現代の人間社会をみると、余りにも基本からかけ離れている。毎日の生活で人間の本質を無視している。ファーブルの昆虫の観察では、大きくて強い昆虫程、感性が欠けている。総ての生物は、安易な方に傾く傾向があるようだ。毎日直面する課題に対応するに際して、人間としての原点に戻ることを忘れている。十億年にも及ぶ過去と未来の人類の世代で、我々の世代は唯の1ページにしかならないのだ。

太平洋上にて(35報)
村田 和雄
(2006年7月22日7:09発信―日本時間)

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(21)村田和雄−太平洋航海記−咲良丸について
ご希望に応えて、私の相棒咲良丸について説明します。元々は、有名なヨット設計家横山晃氏の設計による、7.8メートルのバウスピリットのカッターリグ。それをファーリング・ジブセールとインナーステーのリグスループ(Fractional)に改造し、今使っているのはファーリング・ジブセールだけ。船体は主にマホガニー材の木造船でコックピットはフィンランドのかば材とチーク材。建造にはWEST技術(wood+epoxy+浸潤+システム)を採用。木材は更にエポキシ樹脂フィレット(エポキシ+エアゾール+ミクロ気球混材)で強化してある。

元々の設計では普通のジブセール(Convertible)を使用するよう設計されていたが、風速に対応する為に3段階のセールを準備した。しかし、堀江氏のアドバイスがあってファーリングに変えた。ファーリング・ジブセールが順調なのでそれだけを使用している。メインセールは3段階で面積調整が出来るようになっていたが、自分の希望で4段階に変更した。これは4段階目のリーフ用の穴を開けただけ。

悪天候下航行時のシーアンカーはない。それは波高があるレベル以上になると、効果に疑問があるからだ。短い波なら効果はあるだろうが、波が大きく長くなると短いロープ・シーアンカーは波によってボートにぶつかってくる可能性がある。ボートを向かい風に航行させても、ランドム波を避けられない。

私の帆走スタイルは、いかなる条件下でもボートに余裕を持たせて常時航行すること。風が強くなる以前にセール面積を最小限にしておくこと。ボートの進行方向、つまり風上にたいしての船の角度(アビーム・クオーターなど)、にも依る。風上へ上り帆走(ビート)では、船が波にたたかれるパンチングとショックがリーフする為のセンサーとなる。アビームでは、波に対する角度が良くなるので、セール面積を増やせる。

悪天候下では追い風状態でしか帆走出来ないが、風が強まる場合にセール面積を如何に減らすかが最も難しい。小さなセール面積でもゼロにするよりは、ボートの横揺れを最低に保ちながら、一定方向に帆走を続けられる。堀江氏の提案もあってウイスカーポールを使用。

今までのところ、ボートの破損は少ない。早い時期に、現地で作られたシャックルが壊れた。予備のジブ・ハリヤード用スピンシートが振動で破れた。ドジャーの根元が若干破損した(キャビンが破損する前にドジャーが壊れるように設計されている)。レーダー反射装置がSSBアンテナの所まで徐々に下がっている。

天気予報は航行条件設定に非常に有用だ。エンジンとオートパイロット(装備されているが)は使はず、ウインド・ベーンと本来のテイラーのみ使用で、すべて自然操縦である。太平洋上の日常で最も神経を使うのは、天候をみて航行条件を設定する事である。

太平洋上にて(34報)
村田 和雄
(2006年7月19日8:45発信―日本時間)

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(20)村田和雄−太平洋航海記−気候変化
“POSH”という単語がある。東インド会社時代の航海用語だが、インド洋を航海する際に、インドに向かって航海中は船のポートサイドは日陰になる。逆方向に航海する際は逆で、スターボ ートサイドが日陰になる。それでPort Out, Starboard HomeでPOSHとなった。

今回の航海では、色々な気候変化がある。最初に緯度30度まで南下している間は、南風で暑かった。緯度40度まで北上する間は、北東の風でとても寒く、ウールの帽子をかぶっていた。現在は38度位置で、北西か西風が吹き、日中は24度C前後で快適だ。

曇りの日が多くて、星が見える日が少なくて残念だ。太陽が出てない、ひどい曇りの日には方向がよく分からない。360度全く同じに見える。風向きは陸地に近い所より安定していて、風向きが変わるのは低気圧と高気圧の移動次第。

人間が春から夏になるに従って活動的になるように、大洋上の空気も同じく活発になる。低気圧の方が、ジェット気流を巻き込んで空気の動きが活発で、発生が早いことがある。天気予報の信頼性は高く、老人には次の準備をするのに助かる。

海流は西から東方向で都合よい。それと緯度38−40度で航海する場合、緯度が高いほど1度の距離は短くなる。

太平洋上にて(33報)
村田 和雄
(2006年7月18日10:52発信―日本時間)

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(19)村田和雄−太平洋航海記−凪と鳥の食料
7月15日の午前2時から午後3時(日本時間)の13時間の間は無風状態で、特に内3時間は油の海のよう、360度何処を向いても全くの凪状態、波立ちは全くなく、小さなうねりがあるのみの静寂さ。総てが休息状態だ。鳥たちも皆動かず黒い点のようにも見える。動いているときは、皆が一羽一羽独立しているが、休息中はつがいになっている鳥も居る。ボートに近いても気にする気配もない。恐らくこのような状況下では、空気の動きが無いので、エネルギー節約のために休息しているのだろう。

鳥たちの食べ物を探すには良いチャンスと思い、ボートの周りの海面を見てみると、色々見付けた。3センチ位の小魚・海面を泳いでいる同じく3センチの小さな蟹などが見えたが、大部分は透明な生き物。ボールの様に丸いか胡瓜のような形で5ミリから5センチの大きさ。幼虫のようなよく分からない生き物、うなぎか海蛇の幼魚、浮き袋つきの魚もいた。これらの生物はボートの周りに集まるのかどうかは知らないが、平方メートル当たり10匹くらい居る。皆、鳥の食料になり得る。

大洋には奇妙な浮遊物が多い。先日も2メートルはある透明で生きているような蛸を見付けた。一番大きかったのは、正体不明で数メートルから百メートルはある海面下の茶色の帯状のもの。1キロ以上続いた。ボートが引っ掛けるのではと、心配したが大丈夫だった。幼魚が小エビの群れか?

このような凪状態でなければ、海面に見えるのは人工のプラスチックだけだ。海面下の魚の世界ではすごいだろうが、何でもリサイクルされている様子。私の食品の料包材は、勿論総てを採ってあるので食料保管場所の半分を占めている。

太平洋上にて(32報)
村田 和雄
(2006年7月17日9:26発信―日本時間)

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(18)村田和雄−太平洋航海記−静けさの中で考えること
人間は愛し・恨み・賛美し・妬み・感動する。人間は感情そのものだ。この感情は、どこから出てくるのだろう。簡単ではない。まず情報が脳に伝達されて処理される。この処理は2工程からなる。一つは人間の五感に直接伝わる直接情報。もう一つは間接の情報。つまり五感からの直接情報が、既に蓄積されている情報と組み合わさって、脳内で新しい情報が作られる。

例えば、ガール・フレンドがいたとすると、想いは毎日大きくなる。この場合、直接情報は10%で90%は脳が作り出したもの。本を読む場合は、読者の網膜に映る情報は同じだが、脳内でのその情報処理は読者ごとに違う。
* よって第一の情報は直接。第二情報は第一情報の処理。朝方のラジオ・ニュースの場合なら、直接情報は鼓膜へ伝わる空気の振動。本を読む場合なら、網膜に反応する光粒子となる。
* 人間の五感を刺激する物質の種類は限られた数しかない。光・空気(気体)・圧力と化学物質だけ。しかし、それらの組み合わせは数多い。
* 接触は圧力の一種。
* 基本要素は物理的または化学的物質。
* 人間の生命と生態はこれらの物理的・化学的物質の結果。
例えば、美しい女性を認識することは、網膜が光粒子を認識する結果。

人間はどうして物理的・化学的物質に、時として過度に反応するのだろうか。 人間以外の生物も、最初の情報受信は皆同じだが、人間以外の生物の場合、受信した情報を自動的に本能で受け入れる。人間の場合は、この物理的・化学的物質にもとずいた処理情報に反応する。光粒子を網膜が受けるだけで、人間は過度に反応することもある。
* ナノ技術が急速に進歩すると、物理的・化学的粒子もナノ・サイズになり、それを放出する装置もナノ・サイズになるであろう。
* そうなると、サイバーも幻想も現実も同じようになり、区別出来なくなるであろう。
* 理論的には、これらは皆同じであり、可能である。現在でも、音楽や3D映画でその傾向が窺がえる。ナノ技術の進歩で、全く区別出来なくなる事は可能である。
* そうなると、今から二百年後かもしれないが、人間は崩壊するかもしれない。外に出かける必要はなくなる。何でもボックスの中で出来るようになる。
* 自分の好みの女性を作り、自分に理想的な性格を持つ友達を作り、想像も出来ないような美人秘書をつくり、どんな料理でも最高の味を作り出す。
* 科学の進歩は、そういう最終段階に向かっている恐れがある。
* ビジネス市場も同じようになるのではないか。
私の推測は極端すぎるかも知れないが、情報技術進歩の最終ステージはそんなものだろう。
* 科学の進歩も人間の欲望も終わりが無い。
* 人間は奇妙にも、そんな世界は御免だと思いつつも、その方向に進んで行く。
* そういう将来が現実となったら、まさに“To be or not to be, ………” である。

キャビンを出ると、海原は静まり返っている、360度ただ静かだ。死んだような静寂で、ボートは全く進まない。

太平洋上にて(31報)
村田 和雄
2006年7月16日7:55発信―日本時間

訳者注:
咲良丸の現在地情報

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(17)村田和雄−太平洋航海記−アホウドリ
「セイラーさん、今日は。ご機嫌如何ですか?」
「アホウドリ君か。元気だよ。君は?」
「少しお話していいですか。魚君が話して楽しかったと聞いたので、私も話てみたくて。」
「勿論さ。」
「嵐の中での航行、見てたけど、結構うまいですね。」
「君に褒められるとは、光栄だね。君はどうしてたんだい?」
「唯、浮いてただけさ。寝られないけどね。大波を避けられるように。」
「君が、どうやって大波を避けるか見てみたいね。嵐の中では、外出られないんでね。」
「強い風を避けるには、その強い船体の中に居たほうが安全だと思うよ。」
「でも、嵐のすごい風息だけを聞いているのは、余り気持ちよくないね。」
「とにかく、お互いに無事で何よりだね。」
「ところで、人間はどうして飛べないの?」
「飛行機の旅は出来るよ。」
「でも、それじゃあ楽しくないと思うよ。飛んでる間、ビデオで映画見てるでしょう。」
「なるほど。君はどうなんだい?」
「私たちは自分の力で飛んでるんだ。2メートル以上ある羽を広げて、波の上数センチから数十センチ上を飛ぶのはスリル満点だよ。」
「どうして、そんなことが出来るのかね。」
「風の動きをうまく利用することだね。そうでないと、羽ばたきしないといけないから。」
「小鳥みたいにかい?」
「そうだよ。あいつらは飛ぶのにエネルギーを使いすぎるから、大きくなれないんだ。」
「なるほど。とにかく君たちの飛び方は美しい。何時も感心してるよ。」
「どうも有難う。キャビンに居たのでは見えないよね。」
「ところで、180度線を越えた辺りから、鳥を余り見ないけど、どうしてだい?」
「私たちの家は、陸地だからね。この辺りは島から遠すぎるからさ。」
「なるほど、君は賢そうだね。日本じゃ、どうしてアホウドリと呼ぶのだろう?関西弁で、阿呆な鳥の意味だからね。」
「そう。聞いたことないね。どうしてか教えてよ。」
「ウン。よく分かんないけど、君の仲間の一羽が自分の巣でオモチャの鳥を3年間も、自分の連れとして面倒見てたと言う話があるよ。」
「その話なら知ってるよ。仲間も皆んな。彼はオモチャだと知ってたのさ。」
「じゃあ、どうしてかい?」
「彼は、すばらしい奥さんがいたけど数年前に亡くなったのさ。忘れられないし、他のメス鳥に気を移すことはしないで、そのオモチャをパートナーとして面倒見てたのさ。」
「それはいい話だね。感心したよ。これからは、君たちを“アホウドリ”でなく、”賢いトリ“とりと呼ぶよ。」
「分かってくれて有難う。じゃ、またね。サンフランシスコまで気を付けて。」
「一曲歌ってあげようか?」
「有難う。歌のうまいの知っているけど、また今度ね。」
「うーん。君はやっぱり賢いよ。」
太平洋上にて(30報)
村田 和雄
(2006年7月14日8:15発信―日本時間)

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(16)村田和雄−太平洋航海記−今の夢
今夢見ることは、風呂に入ること・乾いた気持ちよいベッドで寝ること・人が作ってくれた食事をすること・音楽を聴きながら熟睡すること。何時もしている、なんともたわいない事ばかり。

幸福の基準は、人一人ひとり違う。若い頃、よく一週間の航海に出かけた。4−5日も経つと、夕方荒れる海から遠くの陸地の明りを見ては、温かくてうまい食事と団欒を楽しんでいる家族の様子を思い浮かべては、うらやましく思ったものだ。しかし、陸に上がって一週間もすると、次の航海を考え始めた。これが船乗りの性格で、登山家も同じようだ。

幸福は何処にでもあり、また何時でも失えるの。キャビンはちょっとかび臭いが十分乾燥しているし、食品と水の蓄えも十分(水の節約対策はうまく行き、25%の節約成功)。とりわけ自分もボートも健全だ。ボートはレーダー・反射器が航海始まってすぐ取れてしまっただけ。運もよい。毎日幸せを感じ、神・家族・今は亡き両親・安全な航海を願ってくれている多くの友・万物の先祖にも感謝の気持ちで一杯だ。
太平洋上にて(29報)
村田 和雄
(2006年7月12日11:46発信―日本時間)

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(15)村田和雄−太平洋航海記−ボート横倒し
9日の午前一時、ボートが90度横倒しになった。
体を縄で結び付けて、うとうとしている時だった。大きな音がして、ボートが宙に浮き、横に叩きつけられた。数秒間の出来事で、ボートは直ぐ元に戻った。
予期はしていたので、物は全部固定するかネットを掛けていて、キャビン内はかなり安全だった。海の荒れ方がひどく、キャビンの外には出られなかったが、ボートは航行を続けた。
11日になって、やっと海は静まり、デッキに出て調べた。横倒しになったサイドのドッジャーが少し壊れていたが、航海続行に問題はなさそうだ。

波がある高さ(5m)以上になって、風速が25m以上になると、風の強さ以外の要因も重なってレイダウンは避けられない。今回はランダムに襲ってくる波が原因だった。予想はしていたので、自分で考え出したセール面積をリーフ・ポイント7に設定し、波を滑降するように追い風状態でボートを航行させていた。

風速が上がれば風圧も上がる。例えば、風速が通常の4倍の25mになると、風圧は16倍になる。セール面積を最小限に設定しても、航行速度は4−5ノットで悪くない。航行は順調でも、ランダムな高波は確率の問題で避けられない。前々回無事だったのは全くの幸いだった。もう少し波を滑降するように航行したほうが良いかもしれない−横揺れは増すが。

三日間キャビンは締めっきりでカビの繁殖には好条件だった。ボートは木製だが、エポキシ樹脂で含浸処理されているので、密閉度は優れているが湿度調整能力はない。ハッチを開けて、大海原の風を入れよう。
太平洋上にて(28報)
村田 和雄
(2006年7月11日9:34発信―日本時間)

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(14)村田和雄−太平洋航海記−海と人間
大洋はきれいで美しい。しかし、時々小さな浮遊物に出くわす。毎時一つ位の割合で、何かが浮いているのが見える。釣り用具・食べ物・船から捨てられたような食品もあれば、何か分からない物もある。魚の死骸のようなものもある−深海中での魚同士の戦いの果てか。鳥が何を食べているのか観察しているが、まだ分からない。恐らく傷ついて死んだ魚だと思うのだが。

鳥たちを観察していると、海洋上を飛ぶ鳥たちはエネルギーに満ちていて感動する。波間の何処でも浮いて休息を取る。波の数センチ上を飛ぶ事だって出来るし、滑走能力には唯驚くばかりだ。波の型で作り出される、空気の上下の流れも巧みに利用している。これまでに六種類の鳥を見た。スズメのように小さくて、濃い茶色に白の混じった小鳥。中型はハトの大きさで、色合いは小鳥と同じ。大きいのはアホウドリだと思うが、3メートルはあり、普通は茶色と白だが、茶色一色もある。

時々海の魚たちと話をする。
「魚君、元気かい?」
「あんたは一体何者だい?何処から来たの?」
「人間だよ、唯海を楽しんでいるだけの。」
「あんたが人間か。今まで見たことがないね。僕らを捕まえて食べてしまう悪いやつかい。」
「食べ物は一杯あるから、心配要らないよ。」
「最近人間の評判、とても悪いよ。音波探知器なんか使って捕まえるんだから、フェアじゃないよ。僕らの逃げ足は百年前と同じだからね。」
「申し訳ないね。君たち皆のお陰で、人間は生きていけるのだから。」
「僕らが人間の餌食になるのは、しょうがないと思う。大きくて強い魚に食われるのと同じだからね。あいつ等も僕らなしでは、生きていかれないから。」
「と言うと?」
「この世界、ある種の生き物は他の生き物の餌になる運命を背負っているだろ、百万年以上も自然の掟で。ところで、人間はどんな生き物の餌になってるの?人間はどんな魚でも、片っぱしから捕まえて食べちゃうだろう。最近、僕らは人間の技術進歩の犠牲になってるんだ。」
「なるほど。同僚の人間たちに伝えておくよ。」
「ところで、人間はどうして殺し合いをするの?生きるための餌にするのかね?そうでなければ、一体何の為?僕らの世界では、生きる為にだけしか他の魚を殺さないよ。」
「もっともだね。難しい課題だよ。今度ハワイの近くで逢える時まで考えさせてくれよ。」
「わかった。でも長い旅だね。とにかく、僕ら魚の世界では、人間の世界には同情的だね。羨ましいとは思わないよ。」
「どうしてさ?人間たちは美味いものを食べ、何時でも遊べるぜ。」
「それは聞いているけどさ。でも百年前に比べて本当に幸福になったのかい。僕らの生活は、ほとんど変わってないよ。貧富の差も無いし。」
「それは君の言う通りだね。ところで、人間も他の生き物も元々は海から生まれた事を知てるかい?」
「勿論さ、僕らが人間の先祖だと言う事は。本当の先祖だって知てるよ。数十億年前は、僕らの仲間の先祖と兄弟同士だってさ。説明出来ないけど、体が知てるよ。」
「本当かい?君は特別な魚かね?」
「そうじゃないけど、嘘じゃないさ。生き物は全部海から生まれただろう。あんた達は人間になり、僕らは今も魚さ。僕らの環境はぜんぜん変わっていないし、今もとてもハッピーだよ。今の僕らの住んでいる環境はあと数百年変わらないぜ。人間たちはどうなのさ?あと数百年生存出来るの?仲間は−人間以外の−皆言てるよ、人間が、この地球から滅びたら、平和な自然が戻ってくるって。」
「又、厳しい指摘だね。航海中よく考えておくよ。いい話が出来て、どうも有難う。」

人間は、時折こうして他の生き物と対話をする必要があると思う。
太平洋上にて(27報)
村田 和雄
(2006年7月7日13:26発信―日本時間)

訳者注:
前報(25−1)=26報の電話報告部分は省略した。

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(13)村田和雄−太平洋航海記−日付変更線通過
村田氏より娘の尚子さんへの電話(7月7日朝)を介し、皆さんへの報告。
「昨夜日付変更線通過。現在位置は
http://www.wamjp.com/kazuo/index.html で分かります。現在低気圧圏通過中で、報告を書く余裕が出来ない。この後、もう一つ低気圧を通過する予定だが、その後はハワイ諸島高気圧圏に入る。体調は良好なり。宜しく。」
太平洋上にて(25−1報)
村田 和雄
(2006年7月7日10:42訳者受信)


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(12)村田和雄−太平洋航海記−イルカ達の訪問
6月29日は素晴らしい一日となった(N39 E169)。海は穏やかで、何時ものようにデッキにいたら、突如海面にヒレが見え、真正面からボートに真直ぐ向かってくるではないか。鮫だと思いキャビンに隠れた。それはボートの下を潜り抜けたが、他にも居るのに気付いた。イルカの群だった。数十匹がボートの周りで遊びだし、あっちこっちで四方八方へジャンプして楽しみだした。ボートの2メートル近くまでも寄ってきた。圧巻は大波の頂上から3匹、5匹と波間に飛び込むシーンだ。このショーは30分間程続いた。

ショーが終はって、キャビンに戻って本を読み出した。すると、恐らく20分位経ったあとで「チ・チ・チ」と今までに聞いた事のない音が聞こえた。どんな鳥か確かめたいと思って、キャビンから出て驚いた。またイルカ達だった。間違いなく私を呼んでいたのだ。彼らのダンスは一時間余り続き、本当に楽かった。余りにもすばらしい光景に、われを忘れ写真を撮ることを全く思いつかなかった。やっと気付いてカメラを出して撮るには撮ったが、残念ながら彼らのステージ・ショーは一秒も写っていない。年を取ると気が回らない。

全く最高の一日だ。私の夕方オペラへのイルカ達のお返しだったと言ったら、誰か信じてくれるかな??
太平洋上にて(25報)
村田 和雄
(2006年6月30日12:18発信―日本時間)

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(11)村田和雄−太平洋航海記−低気圧続き
先週は小・中規模の低気圧3つに遭遇した。これで日本列島に沿った低気圧移動ベルトは通過したが、ハワイ諸島と北東に位置する2つの高気圧の中間の低気圧ハイウエイの真ん中に入った。ハワイ諸島高気圧圏に入れるまで、あと10日間位かかる。

低気圧が続く場合、次の低気圧が来る方向を考えて、強風を出来るだけ避けるように航行する必要がある。例えば、高気圧が東側に位置し、低気圧が左側に位置していたら、低気圧の左側を航行する。どうしても緊張状態が続くので、ボートの正しい設定をする事と同時に自分の健康状態を良く保つ事が大切だ。幸い2つの低気圧圏の狭間で息を抜ける日が一日だけある。今までは疲れきっても良く眠れて、次への対応の回復が出来た。

三日前ちょっと休息している時、船首に行ったらラッコの子供が,右舵側から左舵側の海面に浮いてきた。「大丈夫かい?」と声をかけたらこっちを向いた。航海最初の一週間は、何時もの朝の体操を怠った。今までに経験したことのない背骨の感覚の違いに気付き、すぐにまた朝の体操を始め、疲れている時も続けている。それから午後はダンスをして、歌も歌うようになった。歌・カラオケとも下手くそだが、大海原では誰にも迷惑かけないし、この船は木製なのですばらしい楽器の中で歌っているようなものだ。そのせいか、夕方になると色んな魚がボートの周りに集まってくる。魚たちの観衆は見えないけれど、「これ本当にオペラ歌手かい?」と言っている様な気がする時がある。以前にも同じようなささやき音を聞いた事があるが、山中の小川のせせらぎの様にも聞こえ、それはコンサートが終わっても続く。

太平洋上にて(24報)
村田 和雄
(2006年6月29日8:48発信―日本時間)

以下訳者追加:(株)気象海洋コンサルタント提供
咲良丸の現在地情報

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(10)村田和雄−太平洋航海記−海中の生き物
もし大洋の中が見えたら、魚類の強烈な生存競争が見えるに違いない。彼らの観点では、海面は人間の空に相当するのだろう。まさに3次元の世界で、毎日が生存のための戦い。
彼らには、空を飛ぶ鳥とボートに乗っている私は天国の生き物に見えるのかもしれない。
今まで海上で見えたのは鳥と、鮫の背ビレが一度。鳥には三種類あるようだ。ウミスズメ(?sea-sparrow)は何処にでもいる。経度150度を過ぎたらウミスズメとアホウドリが多くなった。大きな鳥は羽を広げると2メートルはある。八丈島沖ではシロカツオドリ(だと思うが)がいた。

この鳥についてはストーリーがある。今回の航海をはじめた当初何回も低気圧に遭遇して疲労困憊している時に、この白い鳥(羽を広げて80cm)がデッキで羽を休めている事があった。私が外にでると飛び出していたが、鳥も疲労困憊しているのは明らかだった。飛んでいる時間が段々短くなり、数日後には私がデッキに出ても飛び立たなくなった。風が強い時などは、キャビン入口近くに近寄ってきて、最後にはドッジャー(デッキカバーの一部)の内側−ボートの外部では一番安全な場所−に居るようになった。ますます疲れきってか、私の存在を無視しだした。私の疲労もかなりだったので、その鳥にやってやれることは、小さく切ったオレンジとインスタントの小鳥の卵を与えることだった。オレンジは口ばしで突いたが、卵は大きすぎたのか合わないのか食べようとしなかった。もう死ぬと思った。キャビンに入れてやっても生き延びることはないだろうが、せめて少しでも暖かいところで死なせてやろうと考えた。翌朝大きなポリ袋を持って、キャビンのドアを開けた。鳥はまだ外にいたので捕まえてやろうとしたら、最後の力を振り絞るようにして飛び出した。ボート・スピードは速くなかったが、鳥はもうボートに戻れず、波間に浮いているのが見えた。

その日天候は回復し、海は穏やかになった。今になって考えると、あの鳥が飛び立ったのは良かったのかも知れない。鳥は人より海を好むだろうから。荒れ狂う海をただ避けようとしたのか、人間の助けを求めようとしたのかも定かでない。
太平洋上にて(23報)
村田 和雄
(2006年6月23日11:51発信―日本時間)

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(9)村田和雄−太平洋航海記−もう一つの仕事
私の70歳記念としての今回の航海は大洋を味わう機会以外に、もう一つ知的な仕事をする機会を与えてくれる。それは、自分が70年間生きてきた環境・地球上での人類の意味・一体人類とは何か・人類の生態の原則について考える機会である。自分なりに答えは出ていて、この航海の後半に触れてみたい。資料としては:
1) 昭和史(1925−88)(渡辺昇一)
2) What does world war 2 means for Japanese (Hosaka Masayosi)
3) Outline of World History (H.G. Wells)
4) ヒト、この不思議な生き物はどこから来たのか(長谷川真理子)
5) Men Against Desert (Ritchie, Calder)
6) Souvenirs Entomologiques (Fabre)
等を持参した。1・2・4は読み終わり、5・6は読み始めた。3は40年前に一読したが、もう一度読む予定。

人類の歴史において過去の百年間は非常に特別な時代だ。科学と技術の革新はここ百−百五十年間に起こっている。第一期ホモサピエンスに比較するとこの百年間は千分の一の期間にしか相当しない。人類は唯生物の一種にすぎない。天才は極限られている。誰も自分の意思では生まれてこない。しかし子孫を残し、その存続は子孫の責任となる。百-百五十年前に存在した人類は現在の世界を想像出来なかったであろう。同様に現在生存している人類は百五十年―二百年後の世界を想像出来ないはずだ。しかし、それは6−7世代先に過ぎない。世界はそんな急激には変わらない。我々は孫と子孫により良い環境を残さなければならない。それには、まず世界史と人類の特性を学び、現在の環境状態(科学と技術を含む)を観察する。そして持続可能な人類の歴史を作るのに、如何なるシステムの変革が必要かを考察する。

若い世代はビジネスに忙しい。年配の世代が責任を持つべきだ。人生をただ享受するだけでなく、皆で考えよう。貴方はどう考えますか?
太平洋上にて(22報)
村田 和雄
(2006年6月21日訳者受理)

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(8)村田和雄−太平洋航海記−一日の予定と水平線
6月18日、N39.03 E155.42. 風速10メートル(秒速)位、明日までは風は強くなる予想。東風のためボートは北東に航行中。 日課は続の通り。
1)起床6時(日本時間)。4時頃日光がキャビンに差し込んでくるが、6時頃までベッドで横になっている。
2)必要な時はデッキに出てチェックする。
3)りんごを一つ食べ(あと2日分しかない)、顔と頭をウエット・タオルで洗う。
4)何時もの体操後、ラジオでNHKワールドを聞きながら朝食。
5)Seagull Networksをチェック(出力は5KWで弱く発信は出来ない)。
6)C-Mapで位置の確認と24時間の航行計画作成。
7)気象海洋コンサルタントとメール・衛星電話で交信。
8)午前中天気が好ければ、2−3時間デッキで過ごす。午後も同様、空と海を眺めながら。
9)気が向けば、この太平洋からの航海記を書き、本を読む。
10)洗濯が難しい。まず海水と洗剤で洗い、海水で濯ぎ洗剤を落とし、出来る限り強く絞って、食塩結晶をふるい落とし、純水で残りの塩分を取り省き(料理用水として使える)、最後に乾かす。乾かすのが一苦労。逆風中の航行だと、天気が好くても風は塩分を含んでいる。今までの天気は、曇り80%・雨10%・晴れ10%で、キャビン内も湿っているので、そこに干しても同じことだ。実際には何時もこの通りにはしないが。
11)子供たちが選曲してくれた色々なジャンルの音楽を楽しんでいる−一人ダンスをすることもある。
12)料理のバリエーションは多い。ほとんどがインスタントだが、それの方がよい。ご飯は自分で炊く。納豆とうどんを持ってくるのを忘れた(ボブとシドのメールでうどんを思い出した)。
13)ベッドに横になっていても、船外で何が起こっているか段々分かるようになってきた。ベッドのすぐ後ろを流れる海水音・ボートの傾き具合と揺れ。ボートの縦揺れと波の当たる音も天候変化の兆候だ。

晴天の海を数時間眺めていると、自分が地球の頂上に居るような感じがする。四方八方何も見えない。見えるのは地球の輪郭を示すアーチだけ。本当に丸い地球の頂点に立っていて、神秘的な気持ちになる−煙突もビルデイングも煙もなく、音も聞こえない、人間が住んでいる気配はない。自分が小さく、小さく感じる。宇宙に包まれたこの地球に自分だけ唯一人。神はどこにいるのだろうか?自分が神の揺りかごの中に居ることだけは間違いない。

海はいつも深いブルー色。太陽光が砕ける波を通過する時だけ、美しいエメラルド色の宝石が海中に落ちる様に見える。時たまそれはきれいなちがった青色に−氷河を太陽光が通り抜ける時のように−なる。
太平洋上にて(20,21報)
村田 和雄
(2006年6月22日19:34訳者受信−日本時間)

以下訳者追加:(株)気象海洋コンサルタント提供

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(7)村田和雄−太平洋航海記−強風下の航行
強風下では全てがエクサイテイング。一番の課題はボートへの負荷を出来るだけ減らすこと。風速・波形・波高とこれらの方向とボートの進行方向などのパラメーターが全てボートへの負荷の大きさを決める。風速が強まるにつれて、波はますます大きくなる。ボートが波に向かって進む程負荷は大きい。低気圧下での経験は何回かあるが、ボートの進行方向とスピードを同時にコントロールするのはまだ難しい。しかし、要領がすこしずつ分かってきた。

強風下での理想的なボート進行方向は、追い風で約30度向かい風状態に進むことだ。これで船尾からの波かぶりを避けられ、ピッチングなしでボートは滑ってくれる。方向とスピードの両方をコントロールする操作は難しい。この2つのパラメーターはセール・アレンジメントから来るので、関連している。セールと風でボートは進むのだから、モーターボートの様には方向を自由にコントロール出来ない。方向はセール・バランスで決まる、つまりセール・エンジンとボートのバランスだ。

そこで、バランスと減速を同時に行う方法が必要だ。今回、洋上から堀江さんと電話で話をした際にヒントを得た。彼は、「セール・パワーを下げろ。」と言ったが、セール面積を連続的に減らせと言っている様に聞こえた。通常では、連続的に減らすことは出来ない。このボートは、もともと3ポイント・リーフだったが4ポイントに変えてある。しかし、他に何かあるだろうか。面白い問題である。自分なりに考えて、うまく行っているようだが。一緒に考えてアイデイアを出してもらいたい。(難しいかも知れないが、図を描けば物理の理論通り。)

今も未だ強風の中、2本のロープで身体を結んだままでいるが、ボートは波を被りながらもかなり順調に航行中。

太平洋上にて
村田 和雄
(2006年6月16日3:15PM発信−日本時間)
追伸
6月17日の現在位置はN38.09 E154:03 約40度北へ向かい、東に航行する予定。低気圧から逃れて高気圧の安定した海域に入りつつある。理想は大きな夏型高気圧の境を航行することだ。これまでより東に向かって距離が稼げる。
村田和雄
(2006年6月17日9:10AM発信-日本時間)


以下訳者追加:(株)気象海洋コンサルタント提供

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(6)村田和雄−太平洋航海記−恐怖感
人間には多種多様の恐怖があるが、本当の恐怖は数少ないと思う。人によっては、恐怖を感じる時にこそ、生きている事を最も実感するのかもしれない。F1ドライバーや一部の冒険家などはそれから逃れることは出来ないだろう。恐怖に遭遇すると生命を秒単位で実感する。果てのない実感でもある。

ブッシュ前大統領は70歳の記念にスカイ・ダイビングを試みた。私が今までに経験した最大の恐怖は爆弾−雨の如く降ってくるナパーム弾(焼夷弾)。私の姉は、頭に一つかすったが、幸い彼女と反対側にケロセンが炸裂し、防空頭巾をかぶっていたので助かった。ここで、炸裂はナパーム弾自体ではなく本物の爆発だ。単発の爆弾落下が究極の恐怖だった。単発の時はシューと音がして、雨のように数多く落下して来る時の音はザーだった。このシュー音は地面に近ずくに従って大きくなる。数秒間の出来事だろうが、恐ろしかった。(実際には、シューと音が聞こえた時は既に安全だったのだ−音はナパーム弾の落下速度より速く伝わるから)。

太平洋上で風速20メートル以上の強風を経験した。まず急いで帆を降ろした。波の高さは5メートル。船室での恐怖感は独特だった。大波が全方向からボートを襲ってくる。ドーンという大音は、波がボートにぶつかる時の音。ザーは波が甲板を流れる音だ。ボートが破壊されるか、何かが壊されるのではとの不安感がよぎる。甲板に出るわけにはいかない−放り出されてしまう。時が経つのを待つしかない。1秒が長く感じる。低気圧は、半日もあれば過ぎるものだが、非常に不安な時であった。

少しずつでも大洋の性質が分かってきた。正にフリー・マーケットのグローバリズムと同じようだ。全ての動きが自由で、海水の動きも完全に自由。600マイル位離れた所で、気圧の差が20mmもあれば突風が起こる。世界の金融市場で巨額のマネーが金利差などで自由に移動する如く。波も全く同じように、荒れ狂うが自由だ。波の場合パラメーターは三つ−長距離波・中距離波・地方波−あと海流(深海流は関係ない)。この小さなボートでは、地方波、つまりその近辺の波の動きの影響も大きい。

観察して分かったことだが、うねりには勿論方向性があるが中距離波も地方波も同じこと。これら各種の波には規則性があるのだが、波の最高点では全くランダムだ。波の最高点からは、あらゆる低い方向に波が流れる。この海水の流れはランダムに船に覆いかぶさり、全く居心地が悪い。海水の山から流れ出る川の様だ。

太平洋上にて
村田 和雄
(2006年6月10日9:33発信−日本時間)

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(5)村田和雄−太平洋航海記−コンピュータ通信不能
村田氏から、日本での中継点清水尚子さんへの電話連絡によると;
咲良丸搭載コンピュータによるe-メール送受信が現在不能。日本海流に間もなく乗れるので、航行の難関は越えつつありサンフランシスコへ向かって順風満帆。村田氏は心身共に良好。現在位置は、 N34.21 E154.44。シャチの群れと、めずらしい鳥の群れに遭遇したが、詳細は通信回復後に報告するとの事。
(2006年6月14日21:31訳者受理)
訳者補足 (株)気象海洋コンサルタント(
www.wamjp.com)によると、咲良丸の現在位置と、気圧配置・波高・風速は以下の通り。

咲良丸位置と気圧配置および波高分布


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(4)村田和雄−太平洋航海記−船室
ボートの船室での日々を紹介したい。小さいが5つのセクションから成っている。まずラウンジ、仕切りがあるわけではないが、最もくつろげる場所。ラジオを聴き、子供達が選曲してくれた音楽にスピーカーを通して聞き入る所だ。彼等は、皆音楽好きで約300曲選んでくれた。それからコンピュータ・通信セクション、馬場さんの事務所から翌日の天候に関する情報を取り、彼と話をする、謂わば、司令室。電話は機能しているが、e-メールの信頼性は今までのところ30%。短波通信装置もあるがまだ使かったことはない。電力容量の制約から、これらの機能を使うのは毎日9:45−10:15の間だけ。

次は航海オペレーション・セクション。C-海図から船の位置を確認する。当初は毎日24時間表示させていたが、今は毎日20分のみ。大洋上では、常に正確な位置を確認する必要はないし、電力節約の必要性からも、そのように変えた。太陽電池とエンジン(石油)で発電されるようになっているが、出向後晴天日は少なすぎた。ボートの操縦に電力は使っていない。航行は勿論全く自然任せ。残りの2つはトイレと台所。

この船室を環境面から居心地良くするのに一苦労した。まず塩気のある区域・塩気の無い区域とその中間区域に分け、外に出る度に衣服を着替えるようにしている。もともと無精な性格なので、これを習慣付けるのに困った。気分が良いか悪いかは人間の感度に由り、センサーは全て表面接触。つまり気分の良し悪しはセンサー反応で決まるので、全センサーを常にきれいに保つのが最善と気付いた−手の表面と手が触れる所は、全部きれいにしておく必要があることに。

しかし、必要箇所を何時もきれいに保つには多量の水が必要だが、航海中水量は限られていて貴重品だ。フィンガー・ボウルを使うことにして、使った水は料理・スープ作りに再利用するようにした。もともと食事の味にはうるさくないのが幸いだ。これで水のリサイクルに成功。濡れタオルの水も、同じく料理用にリサイクル。皮膚蛋白のリサイクルも悪くないはずだ。

ファーブルの本(Souvenirs Entomologiques日本語版)を読み始めた。その中にオオタマオシコガネについて面白い記述があった。この昆虫は他の動物の排泄物を食料とするが、その消化を可能にするのが数メートルもある長い腸で、他の動物の腸ではだめ。この様な小さなボートは、人間社会の完全リサイクル・システムを研究するのに理想的かも知れない。

太平洋上にて
村田 和雄
(2006年6月8日訳者受理)

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(3)村田和雄−太平洋航海記−八丈島沖通過
現在八丈島の南方鳥島付近を航行中。寄港こそしないが、最初のベンチマーク通過だ。ここまで到達するのは、自分の人生で長い道のりであった。過去5年間を振り返っても、
1)70歳まではビジネスに没頭
2)オランダのマスター・65歳以上の世界チャンピオンシップへの参加4回での身体訓練
3)ボート特性の把握と自動航行装置の試運転航行(昨年12月21日から3ヵ月半)及び瀬戸内海中島での単身越冬訓練
4)修理とシステム改善(松山)
5)セトウチ・エンジンと操縦装置の試運転
6)最終修理とシステム変更
7)八丈島航域までの第一行程
8)ハワイ航域への第二行程
9)サンフランシスコ迄の最終行程

今までの準備で、最大の難題はソロ航行の経験だった。若干の航海経験はあったのだが−例えば、1950年代の学生時代、エンジンもライフラインもないヨットでの大島波浮港への航海、また台風が房総半島に接近している際の足代港への航行など。欧州ではローカルな航海以外、アドリア海で2週間の航海を経験した。しかしソロ航行は一度もなかった。ソロは全く違う。
数多くの人々から、彼らの経験から生まれた有意義な助言は頂いたが、自分には十分納得出来るものではなかった。それは、成功体験として貴重ではあるが、彼らの特殊な条件下でのみ有効であって、太平洋ソロ航海にも当てはまるとの確信は得られなかったからだ。原理原則は多くの経験を積んでのみ得られるものだとの思いが強く、自分自身でその経験を積めればベストではあるが、それにはあと十年かかってしまう。

堀江謙一氏(大洋冒険家)にお会いしてアドバイスを受けたいと思った。彼は間違いなく、世界でナンバーワンの大洋航海エキスパートである。彼と奥さんのエリさんは私と陽子に快く会ってくれた。彼らの航海でエリさんがイヌイットの女王にされかかった逸話も面白く聞いたが、彼は豊富な大洋航海から得られた貴重なアドバイスを数多くしてくれた。過去半年間に頂いたアドバイスと協力も非常に貴重であり、今回決行に踏み切れたのもそのおかげであり、約十年の近道が出来たと思っている。「冒険はリスクを最小限にして実行」が彼のポリシーであり、これこそが真の冒険家魂だと信ずる。
堀江氏は、私より4歳年下。彼が太平洋横断を決行したときの衝撃は大きかった。彼の最初の報告会に西宮まで出かけた。大学のヨット部に属していた頃、横浜に寄港する外国のクルーザーの乗組員として雇われるチャンスの追求もしたが、実現しなかった。堀江氏の太平洋横断で、最も驚いたのは、ソロ航海であったことだった。自分には思い付きもしなかった。

それから約50年後、私は今太平洋横断を試みている。長い間の夢であった。中国の河が天山山脈から流れ出て、時として地中に隠れても、常に悠々と流れ続ける如く、私も夢を忘れることはなかった。堀江氏の冒険が人生の序幕に行われたとすると、私の冒険は人生の終演での決行とも言える。その意義を堀江氏ならよく分かってくれるだろう。

堀江氏の時代には、彼にとって全てが未知であった。現在は色々な航行装置も発達し、航海はずっと楽になっている。しかし太平洋は変わっていない。多くの航行船舶に出会うようになったことが不利な点。現時点で、航海は太平洋横断全工程の8%が終わったに過ぎない。体調は良好、しかしそれを維持することが横断成功の大条件と思っている。家族全員がこの冒険に協力してくれた。妻の陽子は100日分の食事を作ってくれた。私の命は正に彼女のものだ。

太平洋上にて
村田 和雄


(2006年6月2日訳者受理)

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(2)村田和雄−太平洋航海記(13報)−5月21日出航
次は何だろう?何が起きるのだろう?未知に遭遇すると人は考え出す。恐怖と期待。
5月21日好天、やっと和歌山ヨット・ハーバーを出航出来た。南に下るには良好な北風。速度6ノット、飲料水250キロ・100日分の食料等を搭載している割には悪くない。最初の夜は大型船を避けるために、紀伊水道中央部分の航行を予定したが、風吹かず全くの凪。空は満天の星。大型船のレーダー探知の必要上、一睡も出来ず。北斗七星から北極星を辿り、紀伊水道中央部はオーストラリア・ニュージーランド航路と同位置らしいことが判明。

2日目は風の方向悪し。天候コンサルタントのアドバイスに従い、東への航行を南西方向に変更。10時間の睡眠が取れ、何時もの活力を回復。今の季節、北緯30度以上では天候は不安定で、低気圧が次々に通過する。
24日、現在地はまだ北緯32度・東経135度。風は弱く、向が定まらないが、自動操舵装置の信頼性は非常に高い。これは日本列島付近の高気圧と低気圧の影響を受けている為。この辺りでも大型船2艘とおおきな漁船に出会った。波は2−4メートル、風速は8−10メートル。波高でも風はマネージ出来る。しかしBoomBrakerは機能せず。堀江氏のアイデイアを使った対策を取る。これは良さそうだ。

ハエが一匹自分にまとわりついている。ドアは開いているのだが逃げていかない。普通ならハエは気になるものだが、船内に生命体が現在二つ存在している。自分が10歳位の子供の頃は、死は恐怖であった。それが今は未知の世界に挑戦している。よく分からないが、70歳になって命とは何か判り出したのかも知れない。
太平洋上にて  村田 和雄 (13報)


訳者注
1−12報は昨年末から瀬戸内海の小島で訓練中の報告。

村田和雄氏とSakura maru。出航を前に和歌山にて

航海計画−特注で造られた日本製の木製クルーザー(26フィート)が完成した昨年末以来、村田氏は瀬戸内海の小島に住み船の調整・トレーニングを行っている。今月20日前後、天候次第で和歌山を出航し、まず八丈島方向に進み、黒潮に乗って太平洋を日本列島に沿うように東に航行する。エンジンは装備されているが、ソロで風任せのセーリングで、90日程度を予定。その後ハワイに向かう計画。
航海記−村田氏は、航海中10日に一回程度の割合で日本・中国・台湾・タイ・シンガポール・カナダ・アメリカ・英国の友人・家族にレポート(英文)を送る。ボートに搭載されている太陽電池の容量と人工衛星を使う通信能力に制約があるため、直接通信は村田氏の娘さんと気象海洋コンサルタントに限定され、彼女がレポートの中継を行う。その訳文を掲載します。

                                元山 芳彰
                (村田氏の友人で「
モンゴル報告」を掲載中)

<本になりました>
70歳 太平洋処女航海
(2007年6月21日発刊)
解説
序文
はじめに
出版社のコメント
在庫のある書店

<目次>

(1)序文
(2)5月21日出航
(3)八丈島沖通過
(4)船室
(5)コンピュータ通信不能
(6)恐怖感
(7)強風下の航行
(8)一日の予定と水平線
(9)もう一つの仕事
(10)海中の生き物
(11)低気圧続き
(12)イルカ達の訪問
(13)日付変更線通過
(14)海と人間
(15)ボート横倒し
(16)今の夢
(17)アホウドリ
(18)静けさの中で考えること
(19)凪と鳥の食料
(20)気候変化
(21)咲良丸について
(22)人工と自然の美とバランス
(23)ロープに繋がれて
(24)夜明け
(25)持続可能な世界(1)
(26)水平線の彼方
(27)宇宙に行ってみたければ
(28)持続可能な世界(2)
(29)スターダスト
(30)好きな場所
(31)航海物体の群
(32)持続可能な世界(3)
(33)脳の情報処理速度
(34)持続可能な世界(4)
(35)持続可能な世界(5)
(36)航海のまとめ
(37)航海のまとめ(続)
(38)8月23日 SFYC到着

村田和雄経歴

旧ユアサ・コーポレーションで研究所長・欧州総責任者などを歴任、代表取締役専務を退任後は台湾のデルタ電子の特別顧問。英国滞在中、「How to Make Japanese Management Work (in the West)」などを著作。大学時代からヨットを趣味とし、2000年からレーサー級の世界選手権ヨットレースに個人として参加している。70歳までは仕事中心の人生であったが、いつかは大自然を肌で感じる大きな冒険をするのが若い頃からの夢であった。数年前から太平洋の航海を決意し、写真のクルーザーを発注、昨年末から完成したクルーザーの調整とトレーニングに入った。1935年生まれ。横浜国大工学部卒。
村田和雄氏へのメールは
こちら

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