2006年3月30日
(会社運営3) 数年前、勤務先大学・経営学部の伝言板にキリル文字で「カイゼン」と書かれているのを見て、何のことか聞いたら「品質管理・カイゼンセミナー」と言われ、ちょっと驚いた。モンゴルに対して失礼だと思うが、この国と品質管理は無縁だと思っていた。
モンゴルに数日滞在するとすぐ気付く事だが、物が曲がっていたり、整然と揃ってなかったり、壊れたままになっている事が多い。例えば部屋のプラグの差込み口、大体全部斜めについていて、幾つかあると半分は使えない。差し込んでも電気が来ないか、手で押さえていないと使えない。多くの階段は最後の段だけが高いか低いかのどちらかである。お土産の工芸品など同じはずの品物でも大きさ・色などは少しずつ違う。
写真の建物は、私の見つけた傑作である。窓枠が波打っている。しかも全体が向こう側に下がっていて、その分窓枠も斜めになっていた。どことなく遠くの山々と調和している気さえするのは、私のモンゴルボケのせいだろうか?興味を持って調べてみたら、コンクリートの土台もその下の地面も同じように波打っていた。つまり、地面を水平に地ならししないで、土台を作って建物を建てたらしい。ちゃんと地ならしした方が全体の工事は楽なはずなのに、土を掘起こすことを嫌う遊牧民文化のせいだろうか。
モンゴル人に、何故物を水平か垂直に揃えないのか何回か聞いてみたが、何故揃えるのかとけげんな顔をされ、質問の意味を判ってくれるのは外国に滞在した経験のある人達だけだった。私が今までに訪問したどの国でも物を水平か垂直に揃えるのが当たり前であったから、やっぱりこの国は特殊だ。モンゴル人から納得出来る答が得られないまま、自分で考えた結論はこうだ。
モンゴルの広大な自然で垂直なものはない。平原で見る電信柱は全部斜めに立っている。水平なものは地平線だけだ。それだって、この国では珍しくない180度以上の広がりになると、水平とか直線の感覚ではなく、地球の湾曲をはっきり感じ、大きなボールの上に自分が立っているような錯覚を覚える。ゲルだって丸いし、地面に沿って少し傾いているのが普通。ゲルに一つずつあるドアの柱、ある有名ホテルが経営するテレルジのゲル・キャンプで、並んでいるゲルを調べてみたら上部が内側に傾いているのと外側に傾いているのと両方あって垂直なのは無かった。この国にもともと水平・垂直の概念はなかったに違いない。
駆け出しのラジオ少年の頃にラジオ屋の親父に、私の配線は“うどん”配線だとか言われ、それ以来なけなしの小使いで買った貴重な銅線を、勿体ないと思いながらもシャーシに対して水平か垂直に配線するようになったのを思い出した。余分な物を持たない・自然の恵みは無駄にしない遊牧民の尊い文化では、A点とB点を結ぶ最も合理的な方法は勿論直線だ。スイッチなどきれいに並べなくても機能は果たせる。モンゴル3年で出た答えは−水平・垂直思考は作られたもので世界共通ではない。
ホテル各室のプラグ差込口も、半分は機能していないことに気付いた。10年前の品質のまだ悪い頃の中国品を使ったせいもあるが、全部直そうと補修担当者と打ち合わせしたら、各部屋1つ使えれば十分でそれ以上交換するのはもったいないと言う。建設時に日本人技師が顧客の便利さを優先して、無駄なものを付けたのが悪いのだと。余計な経費を使わない習慣は尊いが、物に溢れ・便利さに慣れ過ぎている国からのお客様が多いし、議論していても噛み合はないので、今年は各部屋の修理必要箇所を、全部自分で調べて指示することにした。
しかし、この仕事のやり方だと毎年自分で全室チェックしなければならない。JICAの先輩達が、「モンゴルでは無理に変えさせると、変えさせた本人が居なくなれば全部元に戻ってしまう」と言っていたが、今の会社では「私が居なくなったら止めるようなカイゼンは、初めからやらないでくれ」と頼んでいる。
やっぱり、この国で品質管理を根付かせるのは容易ではなさそうだ。日本が120%の完ぺき主義だとすると、モンゴルは本来の機能が満たせれば十分な70%主義だと言える−勿論彼らにとっては完ぺきな100%だが。