2008年4月5日
26. ママ翻訳者奮闘記
前回の連載から大分間が空いてしまいました。大量に仕事が来て、わからんちんの育児をして、時間的・体力的・精神的に余裕のない状態だったのです。やっと連載を書く余裕ができて嬉しいです!
仕事は、現在、3社から請けているのですが、いずれのクライアント様もとっても大事で、今後とも末永くお付き合い頂きたく、平気な顔してお仕事を承っていたら、フルタイムで働いてやっとこなせるくらいの量になってしまいました。
一方、育児のほうは、泣き虫、食べ物の好き嫌い、夜泣きと、手のかかることオンパレードでした。息子は甘えん坊で、ママじゃなきゃダメな子になったのはうれしいことなのですが、オムツ換えもお風呂も、ママじゃなきゃダメで、旦那に代わってもらえないのです。
このように手のかかる子供をやっと寝かしつけると、即座にパソコンに向かって仕事をしなければ間に合いません。あー余裕がないっ! いっそのこと病気にでもなって入院すれば楽だなあ〜。ごはんは出てくるし、子供は旦那や親がなんとかしてくれるだろうし・・・などと、バチ当たりなことを考えたりするのですが、いくら忙しくても、母は強しなのでしょうか、体はやたら丈夫で、一向に倒れる様子はありません。もう少し、かわいげがないものかね。
でも、気持ち的にはどんどん追い詰められていきました。仕事の納期に間に合わないのではと心配で心配で、子供が寝ている間に仕事を必死でやるのですが、昼寝の時間が短かったり、夜頻繁に起きられたりすると、何でもっとちゃんと寝ないのよー!と、イライラが募りました。育児なんて、思い通り、計画通りになんて行くはずないのに。更に、月齢が進むにつれて、子供に新たなトレーニング等が必要になってきます。そういったものは、親のほうが心に余裕を持ってやらないと、子供にとってよいトレーニングになりません。
この状況の打開策を色々考えた結果、一時保育というものを利用することにしました。一時保育というのは、週に2,3日保育所に子供を預けるものです。これなら、仕事と育児の両立ができるだろうと期待しています。しかし、預けるためには、子供を、人に預けられる状態にしなければなりません。私の息子は完全母乳で育てているので、昼間の授乳の代わりに、牛乳などを飲めるようにする必要があります。コップの練習も必要です。また、昼寝も添い寝授乳しているので、他の方法で寝かしつける練習をしなければなりません。これらは、私と子供にとって、大きな大きな課題です。そこで、今請けている仕事だけはきちんと終わらせて、その後、5月いっぱいまで仕事をお休みし、トレーニングをすることにしました。仕事を休むのは心苦しいですが、トレーニングはそれくらい一大事なのです。
まず、今請けている仕事をとっとと片付けるために、また里帰り翻訳をしました。そして、晴れて、今日、仕事が終わったのです!だから、すがすがしい気分なのです♪明日から、各種トレーニングを始めようと思います。
こうしている間にも、子供はどんどん成長しています。ここ一週間でも、色々成長が見られました。ベビーアフタービクスで、初めて、泣かずに一人遊びをしてくれました。今までは抱っこしないとダメで、私は思い切り運動ができず、腕力だけがついていったのですが、その日は、エアロビクスを楽しめました。また、昼寝を3時間位しっかりしてくれるようになりました。ベビーカーも、最近は嫌がるようになっていたのが、ちゃんと座っていられるようになりました。
それでも、育児は大変です。世の中のママたちは、みんな、自分の育児が特に大変だと思っていると思います。でも、大変じゃない育児なんて、ないのでしょうね。大変だけど、子供の成長を感じていけるので、楽しくて幸せですよね。
育児を楽しんで、心に余裕を持って子供に接して、かつ、仕事も続けていくために、一時保育が、私にとって大きな支えとなってくれると思います。仕事のお休みを頂いている期間に、ゆったりと、楽しく、子供にトレーニングをして、一時保育の準備をしようと思います。
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2007年11月13日
24. インクカートリッジ特許訴訟
先日、インクカートリッジのリサイクル品をめぐる特許訴訟の判決のニュースが流れましたね。プリンタメーカの純正インクカートリッジのリサイクル品を製造・販売したことが特許侵害にあたるとして、プリンタメーカがリサイクル品販売会社を訴えた事案ですが、日本の二大プリンタメーカと言えるキャノンとセイコーエプソンが、同じ様な内容で訴訟を起こしたにもかかわらず、キャノンは勝訴、セイコーエプソンは敗訴と、明暗が分かれました。私は、個人的には、セイコーエプソンの敗訴は不当なのではと思いました。自信を持って主張できる根拠もないのですが、私はいつも、メーカの味方でありたいのです。
焦点は、リサイクル品の販売が違法かどうかではなく、プリンタメーカのインクカートリッジの特許が有効かどうかだったようです。新聞記事によると、キャノンは、「インクを染みこませる2つのスポンジを密接させてインク漏れを防ぐ」というインクカートリッジの特許を保持しており、リサイクル社製品が、「インク漏れ防止の特許の効果を復活させるもの」と判断され、キャノンの勝訴となったようです。一方、セイコーエプソンは、「カートリッジのインク漏れを防ぐフィルムなどの構造に関する技術の特許」を保持しているが、今回の訴訟で、この発明自体に新規性がなく、特許は無効とされ、セイコーエプソンの敗訴となったようです。
私が納得いかないのは、セイコーエプソンの発明が、今回の訴訟をきっかけにいきなり新規性がなく無効とされたことです。この発明の審査で新規性があるとされたから特許になったのに、今回無効としたということは、最初の審査が間違っていたことになるじゃないですか。訴訟なんかなければ、特許は有効なままだったかもしれない・・・。とにかく、特許化されて、これを一つの武器として、セイコーエプソンは、維持年金も払っていたと思うのに、今回役に立たなかったわけですから、維持年金返せーって言いたくなると思います。
また、今回のような訴訟で、特許の新規性の有無を問うのみで、リサイクル品の販売の違法性を問わないことも、私は納得がいきません。そもそも、メーカが一生懸命作ったインクカートリッジの筐体を勝手に再利用して、そこに他社のインクを充填して、純正品より安く売るなんて、ずるいですよ。この行為自体が違法であると判断されるべきだと私は思います。まあ、こういう議論になってくると、特許訴訟の範囲を超えるのかもしれないですが。
でも、世の中には、今回の「リサイクル品」のような製品はたくさん出回っていますよね。私も、知らないうちに、そういうものを買っているかもしれません。「リサイクル品」と比べてどちらが悪いのか分かりませんが、模倣品もたくさんあります。私は、メーカの味方として、できるだけ純正品を買うように努めています。たとえそれのほうが高くても、メーカの技術者がモゾモゾ作ったものを、評価したいですから。例えば、身近なところでは、毎日の生活に欠かせない食品です。いわゆる有名メーカのベストセラーの商品をすっかり真似したものってたくさん売っていますよね。百円均一のお菓子なんかに、よく見受けられます。また、洗剤等の日用品も同様の状況です。私は、技術者が研究・開発したことを想像して、なるべく純正品を買っています。模造品だって、既に純正品の特許が失効していたりして(ジェネリック医薬品みたいなもの?)、別に違法じゃないものもあるでしょうし、模造品会社の技術者もモゾモゾしているかもしれないけど、私はやっぱり元祖の価値を評価したいのです。純正のインクカートリッジは高いけど、一生懸命翻訳の仕事して、買いますよー、メーカさん!
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2007年9月26日
22. 里帰り翻訳
この間、急ぎの仕事が来ました。量もかなり多く、子育て中の私は、こなせるか心配になりました。うーん、どう考えても、1日あたり夜の1時間半程度では、とても終わらない・・・。やっぱり仕事と育児の両立は無理なのか・・・?と、いつもながらに悩みました。しかし、こういうとき、いつも、仕事を断る、という選択肢は、結局選ばないのです。なんとかやってみよう、と思い、考え付いたのが、子供を連れて1週間ほど実家に帰る方法でした。さっそく実家に電話して事情を話すと、かわいい孫が来るとあって、快諾してくれました。
実家にいれば、家事はやってもらえるし、子供の面倒も見てもらえます。授乳だけは、母乳なので私しかできませんが、それ以外の、抱っこやあやし、ベビーカーでの散歩など、いろいろな子守を親に頼みました。子育ては、人手があると、とてもやりやすいですね。普段、昼間ひとりで子供の世話をしていると、家事などでどうしても手が離せないときに子供が泣いても、なかなか100%は相手をしてあげられず、ちょっとの間泣かせっぱなしにしておかなければならないこともあります。しかし、実家に行けば、子供がちょっとぐずれば、ばあばが「よしよし抱っこしてあげようね」と言ってあやしてくれます。
おかげで、仕事がはかどり、大量の翻訳を予定より早く仕上げることができました。翻訳を依頼した担当者に、「納期は最長でいつでいいですか?」などと、私は、いかにもきつそうな調子で言っていたのに、あっさり早めに納品してしまったので、担当者は不思議に思ったかもしれませんね。
両親の協力のおかげで、今回の仕事を乗り切ることができたわけですが、子供は、ちょっと泣けばすぐ抱いてもらえる、と思ってしまったようで、なんだか甘ったれになった気がします。自宅に戻ったら、この甘ったれの世話が大変そうです・・・。でもとにかく、今回のように、大変な仕事が来たときは、このように実家に帰るという方法を使えばよさそうです。実家を巻き込んでまで仕事をするなんて、わがままかなあ、と少し後ろめたい気持ちもありますが、親のほうも、期間限定で孫が来てくれるなら、楽しいだろう、と勝手に自分を納得させています。夫は、1週間子供に会えなくてかわいそうですが・・・。
夫は、今回1週間私と子供が実家に帰っている間、夕食を会社の食堂で食べています。家に帰っても誰も夕飯を作って待っていてくれる人がいない人達が、「サミシーズ」という自虐的なグループ名をつけて、会社で夕食を食べているそうで、夫は、1週間だけサミシーズのメンバーに加わったようです。1日目に、「あれ、景山さん、どうして今日はここにいるんですか?」と、サミシーズの一人に聞かれたので、夫は、「カミさん、子供連れて実家に帰っちゃったんだよ・・・」と、妻子に逃げられた夫に扮して楽しんでいたようです。それにしても、サミシーズの夕食の光景を勝手に想像すると、とても楽しそう!カイコさんたちが桑の葉をモゾモゾ食べているようで・・・。夫は、今や蛾になったとはいえ、元はカイコですからね。桑の葉の味が懐かしかったのではないでしょうか。
このように、色々な人の協力によって、今回の仕事ができました。サミシーズのみなさんもありがとうございました。今後もこういうことがあったら、蛾(夫)を仲間に入れてあげてくださいね。
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2007年7月1日
17.投資ファンドに買収されてたまるか!
今、株主総会の時期で、各社が開催していますね。今回は、海外の投資ファンドが日本のメーカーに財力を武器に要求を突きつけるケースが多くあり、マスコミを賑わせているようです。結局は、投資ファンドの言い分は殆ど跳ね除けられたようです。私は、よかったよかった、と胸をなでおろしているところです。だって、モゾモゾたちが一生懸命モノづくりして人々に幸せを与えているのに、お金をこねくり回している人に余計なこと言ってほしくないですもの。
私は、株式とか買収とか、お金儲けのことは疎いですが、そんな私の耳にも、TOBとか、M&Aとか、敵対的買収とか、専門用語が入ってくるような時代になりました。昔からこういうことはあったのでしょうが、なぜか最近メジャーになってきましたね。新聞に、三角買収の解禁により敵対的買収が増えた、みたいなことが書いてありましたが、なんのことだかさっぱり分かりません。とにかく、メーカー(だけではないが)が投資ファンドの食い物にされる時代が来たようです。
偏見ですみませんが、私は、投資ファンドのような金儲けばっかりの会社はあまり好きではありません。銀行や証券会社は、一般人や企業の役にも立っているから、まだ許せるとしても、投資ファンドなんて、別になくたって誰も困らないじゃないですか。実態は知りませんが、お金をいろんなところから集めて運用してホクホクするのが仕事なんですよね? よっぽど賢くないとできませんね。
私がこういうのを毛嫌いするのは、私にお金儲けの能力がないからかもしれません。元本が保証されない投資信託、外貨預金、株式売買など、怖くて手が出せません。投資家からしたら、バカみたいに、金利の超〜低い普通預金や定期預金しかできません。株も、最近は普通の人もやるようになったので、人に薦められて、株式売買のための口座を開いたこともありましたが、一回も取引をせずに閉めちゃいました。
やっぱり、メーカーがいいですよ。特にモゾモゾ理系たちががんばってモノづくりしているメーカー。人に役立つものを作って、人に提供して、人の生活を豊かにする。これこそが美しい企業の形です!もちろん、いろんな業種の企業があって、世の中は成り立っているのですがね。でも、主観的に、私はメーカーが好きです。だからこそ、投資ファンドなんかにメーカーが買収されるみたいな話を聞くと、とても悲しくなるのです。
ブルドッグソース等に買収を仕掛けているスティールパートナーズを、最近テレビとか新聞でよく目にしますね。「スティール」は、最初の投資先が鉄鋼株だったことに由来する、と、Wikipediaに書いてありましたが、最初聞いたときは、盗人かと思いましたよ。でも、stealのような「こそどろ」というよりは、robって感じですがね。リヒテンシュタイン代表が、会見で、「日本の企業を教育するためにやっている」みたいなことを言っていましたが、なーんですか、あの偉そうな上から目線は!あんたなんかに教えてくれなんて頼んでないよ、と言いたくなります。中には、こういう投資ファンドがものを言うことによって、企業は緊張感を持ってしっかりとした経営をするようになる、などと言う人もいますが、私に言わせれば、感情的と言われようが、「余計なお世話だ」と思ってしまいます。投資ファンドにモゾモゾのよさなんてわかるはずがない!
これからも、私は、日本のメーカーを応援したいです。そして、投資ファンド等に買収されないことを祈っています。私自身も、投資などできないので、こつこつ特許翻訳をして、メーカーの知的財産権保護に影ながら役立てたらと思います。モゾモゾ君たち、これからもいいモノ作って下さいねー。
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2007年5月28日
15.日本語会話での困難
前から気になっていたのですが、日本語の会話には、基本的なところで困ることがあるのです。まず始めに、友達同士での挨拶の言葉がないのです。日本語の挨拶といえば、「こんにちは」ですが、友達同士という親しい間柄では、「こんにちは」と言うと、何だかよそよそしい感じがして、使うのをためらってしまいます。但し、朝の場合は、「おはよう」があるので、友達同士では、「おはよう」を使うことができます。しかし、昼や夜だと、「こんにちは」や「こんばんは」が使えないので、仕方なく、「ああ、○○ちゃん」とか、「おう」とか、「○○ちゃん、元気?」などと言って切り抜けます。私は、失礼にも、友達の名前を度忘れすることがあるので、そういうときは、挨拶ができなくて困ってしまいます。英語だと、”Hi.”とか、”Hi, how are you?”とか、”Hello.”とか、”What’s up?”とか、アメリカ人は使っていた気がするので、挨拶に困るということはなかったように思えます。日本語では、なぜ友達同士での挨拶がないのでしょう?皆さん、困っていたりしませんか?
次に、日本語の会話では、相手を指す言葉がないのです。ないだと?何言ってんだ?とお思いですか?相手を指す日本語は、「あなた」ですが、友達や、近所の知り合いや、目上の人に、「あなた」を使うのは何だか変な感じがします。「あなた」は、奥様が旦那様に使うことがあるくらいで、普通の人間関係では、使えない気がします。友達同士で、冗談ぽく、「おまえ」を使うことはできるでしょうが。だから、相手を指す場合は、またもや「○○ちゃん」、「○○さん」というように、具体的な相手の名前を言わなければならないのです。名前を知らない間柄で話す場合は、とても困ってしまいます。例えば、美容院で、美容師さんに、「あなた」なんて使えなくて、でも、名前も知らなくて、「美容師さん」と言うと、今話している美容師さんを特定できないし、困ったものです。これは、二人称だけでなく、三人称でも、同様の問題があると思います。誰かのことについて相手と話すとき、「彼」とか「彼女」は、あまり使わず、「○○さん」を使うでしょう。英語では、もちろん、you、he、sheを使うことができるので、便利です。無理やり日本語で「あなた」や「彼」や「彼女」を使うと、なんだか英文和訳のようなぎこちない文になるのです。例えば、「今日景山さん見かけないね。よしみさんは、知らないって言ってたけど、みかちゃんは景山さんがどうしたか知ってる?」と言うのが普通であって、「あなたは彼女がどうしたか知ってる?」などというと、頭に”Do you know how she is today?”という英文が浮かんできます。
更に、日本語の、「どういたしまして」は、あまり使えません。これは、個人差があると思いますが、私は、どうもこの言葉を使うことをためらってしまいます。なんだか、ややおこがましい感じがするのです。「どういたしまして」の言葉の実際の意味はよくわかりませんが、「私、あなたに親切したいい人です」っていう意味が込められていそうで・・・。「どういたしまして」を使っている方、こんなこと言ってすみません。なんか、英語の”You are welcome.”や”It’s my pleasure.”のような文化に分類される感じがするのです。日本語ならば、人に贈り物をあげるときに「つまらないものですが」と言ったり、「ありがとう」の代わりに「すみません」や「恐縮です」を使う謙虚さがあるほうがいいです。そうすると、私の場合、「どういたしまして」は、「いえいえ」とか「とんでもございません」になるのです。
こんな感じで、私は、日本語の会話で、ごく基本的なところで困難を感じています。個人差、地域差、世代差など、あると思いますが、「あなた」の場合はどうですか?
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2007年5月17日
14. 海外旅行の難関
皆さんは、海外旅行って、楽しめてますか?変な質問ですが、私は、楽しめるという境地に至るまで、少し時間がかかりました。
初めて海外旅行に行ったのは、大学1年の夏。大学でマレーシア語を専攻していたので、マレーシアに行きました。観光名所に連れて行ってくれるツアー形式のものに、わけもわからず申し込んだのですが、知らない参加者たちと団体行動だし、行きたくもないお店で時間を費やさなければならないこともあったし、あまり楽しめませんでした。こういう形式が好きな方もたくさんいると思いますが、私には合いませんでした。でも、当時の世間知らずな私は、私がツアー形式で楽しめないということも、申し込む前に分かりませんでした。
2度目は、大学2年の夏。ツール・ド・フランスというフランスの自転車レースが好きな友達と一緒に、このレースを見に、フランスに行きました。今度は、フリープランの旅行だったのですが、フリーはフリーで、自分で全部やらなければならないのです。海外旅行に不慣れな私は、海外旅行にふさわしい服装も、空港の使い方も、飛行機での過ごし方も、リコンファメーションも、何も分かりませんでした。もっと事前に勉強しておけばよかったのですが・・・。分からないことだらけで、いちいち緊張し、本来の観光やレース観戦を楽しむ余裕はありませんでした。
その次は、旅行ではないですが、大学卒業後のアメリカ留学でした。飛行機に乗るのに不慣れなくせに、安い航空チケットを買ったので、2度も乗り継ぎをしなければならず、おまけに現地の空港に着いた時間が真夜中で、そこからホテルに電話をして迎えの車を呼ばなければならず、やっと部屋のカードキーをもらっても、キーの使い方がわからず、緊張しっぱなしで、部屋に入ったときには、疲労困憊でした。でも、緊張が解けずに、眠ることができませんでした。
こんな感じで、このころまでの海外旅行は、ちっとも楽しめず、海外旅行なんて、難問の連続で、どこがいいんだ!と思っていました。というか、今でも、海外旅行に付き物の、空港、飛行機、ホテル等には、恐怖感というか、抵抗があります。だいたいですねー、空港とか飛行機ってのは、何であんなに難しくて怖いんですかねー。空港でのチェックインとか、荷物検査とか、飛行機内で、食事を選んだりとか、飲み物をタイミングよくもらったりとか、あんな難しいのに、『こういうことは、国際人として知ってて当然です』みたいな雰囲気が漂っていて、ややムカつきます。私は、留学前は、典型的な、受験英語しか知らない人間だったので、海外旅行中に英語を話すことは、とても怖かったです。特に、アメリカの航空会社やホテルのスタッフは、なんとなく不親切な人が多く(偏見でしょうか)、こっちがまともに英語を話さないと、怒られそうな感じで、これもムカつきます。こう思うのは私だけでしょうか?『知ってて当然です』の雰囲気のせいで、難しいとか怖いという思いを隠して、知ったかぶりしてやいませんか?
でも、私が臆病なだけかもしれません。今や、多くの日本人が、普通に海外旅行や海外留学をしています。私は、このような方々を見て、本当に感心します。別に、英語が達者というわけでなくても、空港や飛行機での難関を簡単に乗り越え、入国審査のこわーい人の質問にもスムーズに答え、本来楽しむべきところをしっかりと楽しんで、日本に帰ってくるのです。いやー、お見事です。
留学後は、旅行中に英語を話すことが前よりましになり、様々な国に旅行に行っています。でも、決して、あれらの難関に慣れたわけではありません。いつも怖いなあと思っています。皆さんはどうですか?本当に怖くないですか?ねーねー、慣れたフリしてませんか?・・・っと疑いながら、ビクビクしている私です。
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2007年4月26日
13.妊娠・出産体験記 その2
しばらくはいじけていましたが、また気を取り直し、再び妊娠しました。今回は、安定期に入るまでは、絶対に誰にも言わないぞ、と決めていました。流産した人は、また流産するのではないか、という不安に苛まれるもので、妊娠した喜びよりも、流産するかもしれないという不安のほうが上回っていました。その不安を更に煽るかのように、また出血がありました。病院には、流産の可能性があると言われました。よく、流産は、無理をしたからなった、と言われますが、実は、殆どの流産は、妊婦のせいではなく、最初から育たない命だったことが原因のようです。私は、安静にしている以外、なすすべがなく、ただ不安な日々を過ごしました。出血は妊娠初期の間、ずっと止まりませんでした。
妊娠初期の終わりごろ、出血が、子宮の中からではなくなり、ひとまずほっとしました。安定期に入っても、出血はありましたが、問題のないものだったので、徐々に前向きに考えることができるようになりました。そのうちに、出血も止まり、つわりも治まって、知人に妊娠を伝え始めました。翻訳の仕事もどんどんこなしました。これぞ安定期!妊娠生活が楽しめるようになりました。
妊娠8ヶ月のころ、妊婦健診で、逆子になっていると言われました。そして、何ともツラい体勢の逆子体操をするよう指導され、毎日やる羽目になりました。こんな体操、効果あるのか?と疑ったり、逆子が直ったのに気づかずに体操を続けたら、また逆子に戻ってしまうのでは?と不安になったりしました。最後まで逆子のままだと、自然分娩に危険が伴うので、帝王切開になることが多いのです。なるべくなら自然分娩がよいなあ、と思い、渋々逆子体操を続けました。その甲斐あってか、次の健診のときに、逆子が直っていました。
よかったよかった、もう逆子体操をしなくて済む、と思っていたのもつかの間、また逆子になったのです。結局お腹の中の子は、3回転したのでした。結局、臨月の最初の健診で、逆子と診断され、二週間後に帝王切開をすることになってしまいました。帝王切開の予定日は、出産予定日の二週間も前だったので、心の準備ができていませんでした。また、帝王切開のリスク(輸血した場合の感染症、血栓症等の可能性)を医師から聞いて、やっぱり開腹手術なんだなあ、と恐ろしくなりました。でも、何とか気持ちを切り替えて、帝王切開なら陣痛の苦しみもないし、健康保険も効くし、と自分に言い聞かせました。
3月6日に入院し、二日後の8日の帝王切開を待つことになりました。そうしたら、前日の7日に、胎児の心拍と妊婦の子宮の収縮を監視する分娩監視装置で、お腹の中を確認したら、子宮の収縮の際、胎児の心拍が一時的に弱くなる、と診断され、新たな心配事を抱えることになりました。でも、次の日に帝王切開で赤ちゃんを出してしまえば、心拍低下の問題も解決されるわけです。
3月8日、手術当日の朝、私は、超音波検査で逆子であることを再度確認してから手術を施行すると思っていたのですが、そのまま手術の準備が進められようとしていたので、自ら、超音波検査をしてもらうように申し出ました。あくまでも、逆子であるから帝王切開をするわけですから。すると、何と、超音波検査の画像を見ると、逆子が直っていたのでした。本当によく回る子です。そして、帝王切開は中止となりました。
しかし、帝王切開中止を告げられた瞬間に、では、胎児心拍低下の問題はどうなるのか?と非常に心配になりました。医師は、自然分娩の方向で、陣痛が来るのを待つが、心拍低下の問題があるので、このまま入院を続け、分娩監視装置で監視し、心拍低下が著しい場合は、緊急帝王切開もありうる、と言いました。私は、自分を責め始めました。私が、超音波検査など申し出なければ、そのまま帝王切開で、子供は無事に生まれていたのに、変に逆子を確認するなどと筋を通してしまったがために、心拍低下の問題を引きずることになってしまった・・・。もし、これで、心拍が著しく低下して、子供が死んでしまったりしたら、悔やんでも悔やみきれない・・・。
夫も両親も、同じように悩み、心配しました。私は、自分が超音波検査を申し出たことを後悔していましたが、なぜ申し出ない限り手術当日に超音波検査をしないのだろう、という疑問も持っていました。そして、主治医と話をして、以下のことが分かりました。『まず、逆子による帝王切開は、入院の日の超音波検査による確認で最終決定される。そのように、どこかで決定の時期を区切らないと、いつまでも超音波検査をしなければならなくなる。入院の日に逆子なのに、手術の日に逆子が直っているケースは非常に稀なことである。また、帝王切開のための麻酔をした後、胎児の向きを確認するために、超音波検査をする。そのときに逆子が直っていたら、本人に、このまま帝王切開をするか、中止するか、選択をさせる。』だから、私がそのまま帝王切開を受けるように事が進められていたとしても、逆子が直っていることは、手術前に知らされていたわけです。その場合に、どちらの選択をしたかは、わかりませんが、とにかく、私が朝に超音波検査を申し出たことは、間違っていなかったと思います。主治医は、常に胎児の様子を監視して、必ず無事に出産できるよう、万全の体制をとるから、悩まないで下さい、と励ましてくれました。私も、家族も、自然分娩に向けて前向きになることができました。もう、陣痛でも、緊急帝王切開でも、何でも来い!
監視装置による胎児の監視のために、その後も入院を続けました。監視装置を着けるとき以外は暇なので、退屈で、早く陣痛が来てほしいと思うようになりました。そして、3月19日早朝、痛みを伴う規則的な陣痛が始まり、陣痛の間隔がどんどん短くなり、痛みが強くなっていきました。分娩室に入る直前からは、この世のものとも思えないほどの痛みとなりました。分娩室に入って、痛くてたまらなくて、一時停止でもできないかな、と無駄なことを考えました。そして、この痛みを止めるには、そうだ、産むしかない、と思い、渾身の力を振り絞りました。3月19日午後1時38分、元気な産声と共に、男の子が誕生しました。
結局、陣痛が強くなっても、胎児の心拍は低下せず、自然分娩をすることができました。主治医は、この子は本番に強い子だね、と言ってくれました。主治医と助産師が「ほら生まれたよ」と言って子供を見せてくれたとき、『うわー人間出てきちゃったよ。恐るべし哺乳類!』と思いました。こうして、一大事業を成し遂げたのでした。
その夕方、初めて授乳をしたとき、思わず涙がこぼれました。これまでの色々な思いや、無事出産した感動などが、涙となって表れたのでしょう。
現在は、出産の疲れも取れてきて、育児に奮闘中です。妊娠・出産は終わりましたが、子供の人生は、始まったばかりです。育児も、妊娠・出産と同様、意のままにならないことばかりだと思いますが、子供を授かったことに感謝し、一生懸命子育てしたいと思います。願わくば、モゾモゾ君になるといいな。でも、そんな贅沢言わないほうがいいかな。育児と翻訳の仕事を両立できるように、工夫していけたらと思います。
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2007年2月24日
10.青色申告
この間、初めて青色申告をしてきました。昨年3月からフリーランスになったので、今年からは、個人事業主として、確定申告をしなければならないのです。フリーランスになる前は、税金のことなどよく分からず、勝手に給料から税金が源泉徴収されているなー、と思っていたくらいでした。フリーランスになる際に、既にフリーで働いている方々に、その辺のところを色々聞いてみると、様々な届出や手続きが必要であることがわかりました。
まず、個人事業を始めるにあたって、税務署に「個人事業の開廃業等届出書」という書類を提出します。いわゆる、開業しますから、税金も自分で払います、と宣言するようなものです。同時に、「所得税の青色申告承認申請書」という書類も提出します。これによって、白色ではなく、青色申告します、と宣言します。青色と白色の違いは、白色は、日々のお金の流れを帳簿などに付けないで、どんぶり勘定で確定申告してよい代わりに、控除がないのですが、青色は、簡易簿記又は複式簿記を付けて、期末に青色申告決算書(いわゆる、損益計算書と貸借対照表)を作成して確定申告する代わりに、10万円又は65万円を課税対象額から控除できる、という違いです。
個人事業主は、このほかに、国民年金や国民健康保険を自分で払わなくてはならないし、住民税も1年分まとめて請求されます(これが手強そう)。つまり、社長兼経理兼営業兼翻訳みたいな立場なわけです。
私は、簿記など全く知らなかったのですが、知人の薦めもあって、青色申告をすることにしました。控除が魅力だったからです。私は、巧妙な税務処理など、とてもできないので、せめてもの節税対策として、帳簿を付けると共に領収書を保存して、経費をきちんと計上できるようにしておきました。事業に関係してかかった費用を、経費としておけば、この金額を課税対象額から控除できるのです。あ、そんなこと、誰でも知ってるか。
先程の「所得税の青色申告承認申請書」を提出すると、税務署や地元の青色申告会から、記帳方法や申告方法の説明会の案内が来て、それに出席することで、簿記のことや課税の仕組みなどが分かるようになってきます。私は、集団や個別の説明会に積極的に参加して、これらを色々学びました。無料でずいぶん親切に教えてくれるなあ、と思いましたが、だってたんまり税金払うんだから、それくらい教えてくれるはずですよね・・・。
それでも、複式簿記というのは、どうも難しそうで、とても理解できなさそうだと最初から思っていたので、私は、青色申告といっても、簡易簿記を付けて10万円だけ控除してもらおうと思っていました。ところが、今年1月に、青色申告前の最後の説明会で、税理士さんに、私の帳簿を見せたら、「これだけきちんと付けているなら、もう少しがんばって複式簿記を付けて、ぜひ65万円控除をうけるべきですよ」と言われました。この言葉になんだか嬉しくなって、ついやる気になってしまい、翌日会計ソフトを購入して、複式簿記を付けることにしました。
結局、その購入した会計ソフトは、使いにくく、もっと使いやすい会計ソフトをインターネットからダウンロードして(その説明の本のみ購入すればよい)、苦心した結果、複式簿記を付けることができ、めでたく、青色申告決算書の貸借対照表のページを埋めることができました(10万円控除の場合は、貸借対照表を作成する必要はないのです)!
そして、先日、65万円控除が受けられる青色申告決算書を添付して、確定申告書を税務署に提出したのでした。
私の場合は、というか、フリーの特許翻訳者は大抵そうだと思いますが、翻訳の報酬を会社や特許事務所から頂く際に、売上の10%を所得税の前払いとして源泉徴収されています。実際は、売上から経費、65万円の控除、社会保険料控除、基礎控除、定率減税などを差し引いた金額に所得税が課税されるので、10%源泉徴収されていた私の場合は、確定申告をすることにより、払いすぎた税金が還付されます。わーい、お金くれるんだ!と喜びたいのですが、たっぷり源泉徴収されていたのだから、還付されて当然なだけなのです。そして、5月ごろには、今回の申告を元に、多額の住民税の請求書が来るそうです。税金って高いなあ・・・。
個人事業主になると、確定申告を始めとして、難しいことが色々ありますが、税務や簿記の世界に首を突っ込むことができて、結構楽しいです。今年もしっかり帳簿を付けていこうと思います。
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2007年2月11日
9.都会生活の思い出
私は、今、東京の外れに住んでいますが、今までの人生の中で一番「都会」な生活を送ったのは、独身時代に渋谷区に住んでいたころです。就職して1年ちょっと経ったころ、実家から勤務先まで通っていた私は、そろそろ一人暮らしがしたいなあと思い、憧れの都心に住むことになりました。家電や家具を買い揃えて、好きなようにインテリアを考えるのはとても楽しかったです。音が響きにくい部屋だったし、同居している人もいないので、気兼ねなくいつでもドライヤーを使ったり、電話をかけたりすることができて、自由な一人暮らしを満喫しました。
立地はとても便利なところでした。まず、電話番号が東京03なのが、妙にうれしかったです。渋谷や代官山に歩いていくことができ、まさに、シティーギャルの気分でした。会社は虎ノ門だったので、たまに自転車で通勤したりもしました。六本木通りをひたすら30分、青山、六本木、赤坂あたりを駆け抜けていくのは快感でした。週末には、自転車で色々な場所を巡りました。銀座方面、世田谷方面、新宿方面などなど。それでも一番遠くて天王洲アイルだったかな。天王洲アイルに着いたころには薄暗く、中学生か高校生くらいの男の子たちがたくさん集まっていてちょっと怖くなり、到着の喜びに浸る暇もなく帰った記憶があります。
都心を自転車で巡るのは、パッチワークをはめていくようでおもしろかったです。個々の駅周辺は、電車や地下鉄で行ったことがあるので知っていますが、駅と駅の間や、自転車でしか行かれないところは、未知の土地です。そこを走っていると、不意に、知った駅に着いて、「ああーこう繋がっていたんだ」と感動します。そうやって、徐々に都心の地図のジグソーパズルが私の頭の中で出来上がっていくのです。
結局、渋谷には、4年ほど住みました。都会生活を満喫し、このくらいの期間でちょうどよかったかなと思っています。やはり、都会ならではの欠点もありました。布団を干そうと、ベランダの桟を雑巾で拭くと、真っ黒になるのです。排気ガス等による大気汚染です。しかも、六本木通りを自転車で走っていたんだから、汚い空気をどれだけ吸っただろう・・・というのは、考えないようにしよう。また、治安もあまりよくなかったようです。幸い私は、空き巣に入られることも通り魔に会うこともなかったですが、そんな話を近くで聞きました。
今は、東京の外れに引っ込み、特に在宅勤務になってからは、自宅周辺にこもりがちで、都心に出ることも少なくなりました。すっかり田舎者になりました。まあでも、今後どこかに家を買いたいなと思いますが、渋谷みたいな大都会ではなく(というか、高すぎて買えないし)、郊外に住み、ちょっと都心に行きたいなと思えば、電車や車で行けるような生活がいいかなと思っています。そんな家が買えるように、せっせと翻訳をしてお金を貯めようっと。
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2007年1月25日
8.影の仕事
私は、今、翻訳の仕事をしていますが、もし、この仕事以外だったら、何をしてみたいか?と考えることがあります。もちろん、本気ではなく、単なる空想ですが。そもそも、小さいころは、将来何になりたいと考えていたのだっけ。幼稚園や小学校のころは、よく学校で、将来の夢や目標を書かされる機会がありましたが、その中でいくつか覚えているものがあります。
まず、幼稚園のころ、「タイムショックに出て全問正解する」という夢を書きました。幼稚園生なら、もう少し夢があったり、華やかであったりすればよいのに、妙に具体的で女の子らしくない夢を書いたものだなあ、と、自分でもちょっとあきれてしまいます。それにしても、実際は、クイズに全問正解するほどまんべんなく知識を持つようになったわけでもなく、この幼稚園のころの夢は、果たされることがないでしょう・・・。
それから、小学校1年か2年のころの、夏休みの目標として、「でんしれんじに手がとどくようになる」と書きました。これまた勉強でもスポーツでもない、実にくだらない目標です。それに、でんしれんじ(電子レンジ)がどれくらいの高さだったか忘れましたが、夏休みのうちに急に背が高くなるわけでもなく、この目標設定の意図が不明です。でも、今では、余裕で電子レンジに手が届くようになり、めでたく目標を達成しました!
とまあ、小さいころは、なんとなく的外れな夢や目標を立てていたようですが、大きくなってからは、実際に存在する仕事の中から、やりたいなと思うものをいくつか探し出すようになりました。超天才や絶世の美女しかできないような非現実的な仕事は除き、思い描いた中に、「声優」がありました。私は、少女アニメのヒロインのような声を出すことができます。これは、高校のころからできるようになりました。自慢じゃないけど結構うまいのですよ。「声だけヒロイン」の副業でもできないかな、と、甘い考えで企てたこともありました。
また、「着ぐるみを着て踊る人」もやってみたいと思いました。ディズニーランドなどで着ぐるみを着ている人は、トップダンサーの方々なので、そう簡単になれそうもないですが、もう少しほのぼのとした着ぐるみダンサーなんて、やってみたいです。だからといって、ただ立って、子供と写真を撮ったり、握手したりするのではなく、それなりに踊って、みんなから注目されて、「中身は男か女か?」とか、「軽々しく踊ってるけど、重くて暑いんじゃないか?」とか、あれこれ想像してもらいたいです。
こんな風に、いろいろ思い描きましたが、実際にそれらになれるほどの能力はなく、結局翻訳者になったわけです。しかし、「声優」と「着ぐるみダンサー」と「翻訳者」には、共通点があることに気づきました。それは、「影の仕事」ということです。周りの人には、仕事の結果だけが見えて、本体は謎に包まれています。目立たないようでいて、存在感を密かにアピールしています。また、周りの人が、実際に本体に会ったとき、「えっ!もっと○○かと思っていた」とギャップを感じ、それが本体にとってまた楽しかったりします(声優や着ぐるみダンサーの場合は、ギャップでがっかりされると思うので、ちょっと悲しいか)。翻訳者は、このように、ミスターXみたいな気分になれる仕事なのです。もちろん、顔が見えないから、仕事はいい加減でよい、などと考えてはいけません。いい翻訳だな、どんな人が訳したんだろう?くらい、思われるように、今日も影の仕事に精を出そうと思います。
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2007年1月11日
7.文化理解って難しい
新年明けましておめでとうございます。今年も連載を続けますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
さて、去年の流行語大賞に、「品格」という言葉があったと思います。これは、数学者の藤原正彦氏の著書「国家の品格」がベストセラーになったことから選ばれたものと思いますが、私も、この本に感銘を受けた一人です。私は、普段あまり本を読まないほうですし、面白いと聞いて読んでも、飽きてしまったり、理解できなかったりすることが多いのですが、この本は別でした。読んでから、ベストセラーになったことを知って、私も人並みの感性を持っていたのかな、と、変なところで嬉しくなったりしました。
多くの人がそうだと思いますが、自分の生まれ育った国(文化)には、やはり愛着を持ちますよね。私も、日本が好きで、特に、アメリカに留学してみて、一層日本が好きになりました。もちろん、日本には、たくさんの問題がありますが、そんな客観性は置いておいて、無条件に好きなのです。「国家の品格」も、このような日本好きの精神(別に国粋主義ではないですが)がベースにあるのではないかと思います。この本の中で、一番印象に残った一節は、あるアメリカ人の教授が、著者の家を訪問した際に、虫の声を聞いて、「あのノイズは何だ」と言い、著者は、「なんでこんな奴らに戦争で負けたんだろう」と思った、という部分です。つまり、このアメリカ人には、日本人の「もののあわれ」という情緒が理解できなかったわけです。これを読んで、私は、アメリカ留学時のある体験を思い出しました。
私は、アメリカで、英語教育学を専攻していて、その一環として、アメリカ人の学部生たちに日本の文化を伝えるという実習授業のようなものを行いました。授業の中で、教授(この方は、日本人女性と結婚していて、日本に理解が深いアメリカ人)が、日本を紹介するビデオを学生たちに見せました。それは、私の留学当時(96〜97年)でも、少し古めだと感じるビデオでしたが、大学受験戦争のあげくに大学入学後は飲み会三昧で勉強をしない日本人学生たちを映し出したものでした。確かにそれは、現実であり、否定できないものでした。それを見たアメリカ人学生たちは、「日本はなんてひどい国だ」と言わんばかりの不快な表情を見せました。その後、私が、様々な日本文化を説明しても、変だ、かわいそうだ、理解できない、といった表情を見せ、それでも最後に私が、「でも、私は日本が好きだし、早く日本に帰りたい」と言ったら、彼らは、えーっ何でそう思うの?アメリカのほうがいい国なのに、という表情で私を見ていました。まったく、アメリカ人は、アメリカが世界一だと思い込んでるんだから。
私は、そのビデオは、確かに本当だと思いながらも、なんだか悔しい気持ちになり、日本の学生全員がこんなじゃないし、悪く映しすぎだ、と、日本を悪く思われることに悲しくなりました。だからといって、どう説明したら、私の思う大好きな日本を伝えられるのか分からなかったし、彼らがなぜ日本のよさを理解できないかも、直感的にしか分かりませんでした。異文化理解って、難しい、と思いました。
しかし、「国家の品格」は、私がアメリカ人学生に言いたかったことを、明確に書いてくれている気がしました。さすが、頭のいい人は、考えを論理的に、明確に、文章化できるのだなあ、と思いました。私などでは、アメリカ人に、この本に書いてあることを、うまく伝えられないのです。
アメリカ人に、虫の声について「あのノイズは何だ」と言われたら、私は、何も言い返せません。そして、どうせアメリカ人なんかにもののあわれなんて分かる訳ない!と諦めてしまいます。私は、アメリカ生活は、正直言ってなじめず、アメリカ文化を好きになれず、早く日本に帰りたい、と思っていました。周りの日本人の友達の中には、アメリカが大好きになり、アメリカ人とつきあったりする人もいました。そんなこと、私には信じられないことでした(まあ、つきあえるかどうかは、文化理解以前の問題だと思うが)。結局、どうせ理解しあえないよね、という諦めた気持ちで終わってしまった気がします。帰国後も、「アメリカ人に“せんべい布団”なんて、分かるはずがない!rice cracker mattressなんて訳したら、せんべい布団のコミカルさや粋が表現できないじゃないか。」と、半ばいじけ気味です。
でも、「国家の品格」を読んで、まずは、自分が、日本のことを理解し、日本に誇りを持ち続けることが大切なんだ、と再認識しました。また、この本に書いてある言葉を借用してもいいから、諦めずに、少しずつ、アメリカ人(及びその他の国の人々)に日本文化を説明していくべきなんだ、と思いました。更に、自分だって、アメリカ文化を理解しようとしてないわけだから、アメリカ人ばかり批判できないです。文化相対主義と言われるように、互いの立場に立って相手の文化に興味を示し、理解することが必要なのだと思います。
それでも、文化理解は、そう簡単ではないと思います。世の中の政治的、宗教的、民族的対立が、その難しさを表しています。私個人は、そんな世界平和のような大それた事を何とかしよう、とまでは考えられないですが、小さなところから、文化理解を意識して生きていきたいと思います。留学で経験したことや、「国家の品格」に書いてあったことを、自分の身の回りの人間関係に、生かしていけばいいのだと思います。身の回りの人間関係だって、文化理解のひとつです。相手は、自分とは違うのだ、と思うだけでも、少し余裕を持って、関係を保てるのではないかと思います。
なんだか、アメリカと日本の文化理解という大きな話だったのが、結局、身の回りの人間関係というこぢんまりした話になってしまいましたが、まあ、私ができることからやっていけばいいのだと思います。とにかく、「国家の品格」はお薦めです。著者は理系ですしね。やっぱ、理系っていいなあ〜。
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2006年12月27日
6.理想のモゾモゾ理系像
最近のニュースで、ファイル交換ソフト「ウィニー」の開発者が有罪になった、というのがありましたが、これを聞いて、私は、とても残念でした。なぜなら、あの開発者こそ、私が理想とするモゾモゾ理系のうちの一人だからです。こんなことを言うと、ふざけているように聞こえますが、客観的に見ても、今回の有罪というのは、不当なもので、モノを作り出す技術者、開発者への冒涜とさえ言えます!! どんなものを作ったって、悪く使う人がいるわけですから。包丁で殺人した人がいたら、包丁を作った人が悪いのか!? じゃあ、銃は? 核は? メールだって、インターネットだって、詐欺に満ちているではないか。
とまあ、私がひとりで騒いでも、所詮、理系好きのたわごとになってしまうのですが・・・。というわけで、ウィニー開発者を一例として、私が理想とするモゾモゾ理系について、詳しく掘り下げていこうと思います(やっぱりふざけている?)。
まず最初のポイントは、見た目と行動です。理系ならやっぱり、チェックのシャツに、リュックを背負って、メガネをかけているスタイルがいいですね。小奇麗にしていることは大事ですが、別におしゃれにしなくていいです。リュックには、無意味にいろいろ入っていて、基板なんか出てくるとかなり萌えです。ちなみに、私は、よく電機メーカーの技術者が着ている、会社名が胸元に入ったあの作業着が大好きです。首からぶら下げている名札も、理系の人がやると萌えです。そして、やや挙動不審気味(いわゆる、モゾモゾ)に動き、周りを見ていないようでいて、しっかり観察している。やはりモノを作る人は、観察眼が鋭くないと! 別に処世術はうまくなくていいのですが、自分の専門分野の話になると、専門用語をちりばめて、得意げに話してくれるといいです。
そして、一口に理系と言っても、機械、電気、ソフト、化学等、実に様々な分野があるのですが、その中でも、私の好みの分野があります。機械→電気→ソフトという軸においては、扱うものが、目に見えるものからだんだん目に見えないものになっていきますが、私は、ソフト寄りの電気、くらいの位置が好みです。つまり、電気図面をCADで描いたりできる上に、プログラミングもたしなみがある、なんて、素敵です。こういうことを、一生懸命習得するのではなく、興味があるのでやっていたらできるようになった、という人こそ、本物の理系だと思います。
更に、親切で謙虚で品のある理系がいいです。逆に言えば、理系には、そういう人が多いと思います。だから、理系の人がたくさんいる場所は、平和でいいです。前にお話した、カイコ部屋がよい例です。また、秋葉原も素晴らしい街ですね。ただ、秋葉原は、近年、理系の街というよりは、鉄道、アニメ、フィギュア、メイドカフェ等、オタクの街になってきていますね。私は、必ずしもこのようなオタク趣味には、それほど萌えと思わないですが、私が好む理系の人の趣味と、これらのオタク趣味は、概して相関性が高い傾向にあるようです。ただし、オタク趣味のみ持っていて、理系でない場合は、私にとって萌えになりません。まあ、オタクの方々は、私に何と思われようと、関係ないでしょうが。しかしやはり、秋葉原といえば、オタク趣味よりも、電子部品の店がいいですね。抵抗を買いに秋葉原に来ました、なんて、カッコいい!
私の好みのモゾモゾ理系像がお分かりいただけたでしょうか? 調子に乗って、不思議な世界にどんどん入り込んでしまいました。理系って本当にいいですね。理系は世の中を豊かにし、幸せにしてくれるのです。だから、ウィニー開発者を有罪にするなんて、とんでもない。日本の司法がこんなだったなんて、ああ情けない。もっと理系のよさを分かって下さいよー。
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2006年11月24日
4.語学系大学比較文化研究
語学系の大学は、全国にいくつかありますが、私の中では、独断と偏見に基づき、かなり乱暴ですが、大きく2種類に分けています。1つは、英語で常に物事を考えていそうな帰国子女の多い英語ペラペラ系大学(とかくミッション系)で、もう1つは、とても勤勉で地味な言語オタクが多い言語オタク系大学です。関東の大学で言うと、前者の代表例は、上智(もちろん語学系以外の学部もありますが)、ICUで、後者の代表例は、我が母校である東京外大です。私の性質からして、言語オタク系大学の選択は正しかったなあとつくづく思っています。
私の大学は、世界の様々な言語の学科に分かれており、学生は、自分が専攻した言語を習得すると共にその言語が話されている地域の地域研究をします。英語圏からの帰国子女は、もう英語はできるから、ということで、別の言語の学科に入ったり、留学又は親の転勤等の理由でどこかの外国に住んでいた人は、その言語を更に極めたい、ということで、その言語の学科に入ったりします。とにかく、みんな自分が専攻した言語とその地域にのめりこみ、長期間その地域に入り浸って、すっかりその土地の人っぽくなって帰ってきたり、構内で民族衣装を着てその言語を流暢に話していたりして、たいしたハマりようです。ペルシャ語学科の私の友人は、イランに留学したなど、あまり一般的な留学先ではないところに行く話も、当たり前のように聞きます。各学科は、人の性質も雰囲気も、その地域そのもののようになり、学科の教室に行くと、まるでその地域に行ったかのように錯覚するほどです。例えば、中国語学科の教室に行くと、我が大学には珍しく男子学生が多く、みんな声が大きそうです。私は、マレーシア語学科だったのですが、南国らしく、みんなのんびりマイペースで、華僑に圧倒されそうな感じでした。
一方で、英語ペラペラ系大学では、みんな日本語と英語を混ぜ混ぜでしゃべって、うなずくときには、”Uh huh”とか言ってそうなイメージです。上智、ICUの方、勝手なイメージですみません。でも、私は、この耳でこういう感じを聞いたことがあるのです。私は、大学生のころ、チアリーディング部に入っていました。最近はチアリーディングの大会がBSで放送されたりしているので、ご存知の方も多いと思うのですが、チアリーディング部というのは、母校の運動部の応援もするのですが、それ以外にチアリーディング大会というものに出場し、2分30秒間に、スタンツ(組み体操みたいなもの)、アームモーション(応援で見られる腕の動き)、ダンスを組み合わせた演技を大学間で競うのです。その中には、独特の掛け声(Go! Fight! Win!など)があり、大会の観客席では、大会の応援に来た学生が、自分の大学のチアリーディング部が演技をしている間、その掛け声を叫ぶのです。私は、自分の演技が終わって観客席にいたときに、英語ペラペラ系大学の演技が始まり、ちょうど私の真後ろから、掛け声が聞こえてきたのです。その英語の発音がやたらよかったのです。あーやっぱりなー、この方々はきっと、つまずいても”Oops”なんだろうなー。と思いました。
私の大学のチアリーダー達も、英語の発音がいい人は多かったですが、そのことよりも、自分の学科の地域の色に染まっていることのほうが、大きな特色でした。部活動では、毎回筋力トレーニングとして、腹筋、背筋、腕立て伏せを10回ずつ何セットかやっていたのですが、その際に、ひとりずつ、自分の言語で1から10まで数えるのです。なんとも不思議な雰囲気の筋力トレーニングです。おかげで、色々な言語で1から10まで数えられるようになりました。まあ、数だけ数えられても、あまり役に立たないのですが・・・。
私のマレーシアへのハマり具合は?と言えば、恥ずかしながら、自慢できるほどのものではなく、3年次からは英語教育学に傾倒して、マレー語も殆ど忘れてしまったのですが、マレー語を学ぶことはとても楽しかったし、何と言っても、大学の言語オタクの雰囲気が自分に合っていて、好きでした。英語ペラペラ系大学に行っていたら、ちょっとついていけなかったかもしれません。どちらが好みかは、人それぞれだと思いますが、皆様はどちらがお好きですか?ちなみに、芸能人で、上智大学出身者は、早見優、西田ひかる等、東京外大出身者は、光浦靖子がいます。このメンツも、何か特色を表しているような気がして、ちょっとおかしくなります。
言語オタクにご興味をお持ちの方は、ぜひ東京外大の文化祭に足を運んでみてください。各国料理や、各国語での語劇を体験できて、大変興味深いです。そういえば、ちょうど今、文化祭の最中です。
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2006年11月10日
3.楽しいカイコ部屋
私は、フリーランスになる直前まで、ある装置メーカで社内翻訳者をしていましたが、そこでの環境は私にとって色々な意味で最高でした。理由の一つは、フリーとしてやっていくために必要な技術的知識と技術翻訳の経験を身に付けられたことですが、もう一つの理由のほうが、ちょっと楽しかったのです。
そのメーカで、私は、開発部の部屋にいました。周りは皆、理系の技術者ばかりです。これはもう、「萌え〜!」です。私は、ひとりだけ翻訳という違う仕事をしていたせいか、部長など偉い人が並ぶ列に席を頂いていたので、みんなをよ〜く見渡すことができました。みんなモゾモゾと開発にいそしんでいる姿を見て、私は、勝手にこの部屋を「カイコ部屋」と名づけました(かなり失礼!)。カイコは、見た目は地味だけど、人畜無害どころか、美しい絹糸を吐いて、世の中の役に立っています。この性質が、まさに「理系人」なのです。カイコ部屋の物語などを作っていました。
『ここは楽しいカイコ部屋(開発部)。カイコ(開発者)たちは、今日も、モゾモゾと絹作り(開発)にいそしんでいます。他の村(営業部)から、時々スズメバチ(営業マン)がやってきて、カイコたちを転がして遊んでは、去っていきます。ある日、外国(総務部)から、美しいチョウ(秘書)がやってきました。カイコたちは、絹作りの手をはたと止めて、その美しいチョウに見とれるのでした。』
私は、勝手に、「カイコは結婚すると蛾になるシステム」などと決めていました。(ちなみに、うちにも一匹、既に蛾になったカイコ(夫)がいます。)私は、カイコさんたちから、技術的なことを教わったり、一緒に遊んでいただいたりしました。たまに、私は、飲み会に、他の課のチョウたち(女性)を連れてきて、カイコとチョウの楽しい会にしたりもしました。とっても萌え萌えでした!
今、この環境を離れて、ひとりでおうちでホンヤクをしているのは、少し寂しいですが、カイコさんから教わった技術と、カイコさんたちとの友達関係は、私にとって何よりの宝物となって、フリーランス生活を支えてくれています。カイコは、忙しいときも、私の超基本的な質問にも、丁寧に、図を交えて分かりやすく、教えて下さいました。だから、理系としてだけでなく、人間的にも尊敬しています。カイコさんたち、カイコなんかに見立ててごめんなさい。でも、私にとっては褒め言葉なのですよ。
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2006年10月24日
2.特許翻訳者への道のり
今回は、「特許翻訳」について、まじめにお話しようと思います。
私は、現在、技術翻訳の中でも、特許翻訳を中心に行っていますが、特許翻訳に特化してよかったなあと実感しています。
24歳のころ、留学から帰ってきて、就職活動のやり方もよく分からず、数社に履歴書を送っても全く反応がなく、「あ〜、せっかく留学したけど、英語だけできてもダメなんだなー。」と、路頭に迷っていました。大学でも留学先でも、英語教育学を専攻していたので、本来は英語教師になるべきだったのですが、留学先でたくさん読み書きをして、やっぱり、英語を教えるのではなく、自分で使いたい、と思うようになりました。しかし、英語を使う仕事って何だろう?そんなことを思っているうちに、特許事務所での仕事を見つけ、ここなら翻訳をやらせてもらえそうだ、と思い、就職することに決めました。
しかし、もちろんいきなり特許翻訳などできないので、最初は外国特許事務をすることになりました。膨大なコピー作業、パターン化された書類作り・・・私は、そのころ、留学から帰ってきて、ちょっといい気になっていたのでしょう、社会人としては何もできない新米のくせに、「何で私がこんな単純作業をしなくちゃいけないんだろう」などと、傲慢な考えを持っていました。しかし、それらの作業を通して、特許業界の知識や特許出願から権利消滅までの流れなどが分かるようになってきました。特許翻訳も、翻訳者が訳した訳文のチェックや、実際の出願翻訳を少しずつするようになりました。理系の方々に、技術を教えてもらう環境も整っていました。このころ、エイバック特許翻訳上級コースに通いました。
こうして、特許翻訳が段々できるようになり、結婚を期に、フリーの在宅翻訳者になろうかなと思い、翻訳会社のトライアルを受けました。運良く合格したのですが、ちょっと不安になりました。確かに特許事務所に4年間勤めたけれど、実際の特許翻訳の経験は、そんなに多くない・・・文系上がりなので、これといって自信を持てる技術分野はない・・・ということで、メーカの社内翻訳者になることにしました。
社内翻訳者として採用されたので、本当に朝から晩まで、翻訳に集中することができました。周りには、技術者がたくさんいたので、技術的な説明を直接聞くことができました。時には、実際の装置も見ることができました。技術翻訳には最高の環境でした。また、特許事務所出身だったため、知的財産部から、特許関連の翻訳の仕事ももらうことができました。このとき、特許事務所で仕事しておいてよかったなあ!と思いました。特許事務所では、文句を言っていたけれど、あの経験が、全て役に立っているのです。
フリーランスになっても、特許翻訳ができるから、仕事があるのだと、ありがたく思っています。特許翻訳は、英語+特許+技術が融合した、素晴らしい仕事だと思います。これからも、仕事が続けられるように、努力したいと思います。
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2006年10月6日
1.宜しくお願いします
はじめまして、フリーランス翻訳者の景山美緒と申します。これから1年間、「美緒のおうちでホンヤク」の連載を通じて、私の在宅翻訳生活などをお伝えしていこうと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
私は、今年からフリーランスになり、主に特許翻訳をしているわけですが、この世界に入った背景には、「英語好き」+「理系萌え」というのがあります。
英語は昔から好きだったのですが、英語の歌や映画に興味がある、とか、英語話者と話がしたい、とかいう正当な理由ではなく、言語として面白いなあ、と思っていました。大学に入学して、受験英語しか身についていない私は、帰国子女や留学経験者という高度な英語を使うたくさんの友達に触発されて、「もっと英語がうまくなりたい!」と思い、米国留学しました。相変わらず英語学としての英語が好きで、帰国後には、留学中に散々読み書きした経験を生かして、翻訳の仕事をしたいなあと思うようになりました。
一方で、理系の仕事をする人に並々ならぬ憧れと尊敬の念を抱いていました。いつからこんなに理系好きになったのかわかりませんが、理系の人が、仕事中も仕事外でも専門用語を使って話したり、会社や家でまで自分の研究(もはや趣味!)にモゾモゾいそしんでいるのを見ると、私は「萌え〜っ!」となってしまうのです。理系人の性質について語りだすと止まらないので、詳しくは追々お話していきます・・・。でも、自分は、理系にはなれず、興味だけがとてもあるのです。
英語を生かしつつ、理系用語に触れられて、技術分野を広げていかれる仕事といえば、技術翻訳だっ!と思いました。それでも、特許翻訳などという世界は知らなかったのですが、入ってみたら、理系用語満載!!理系の人々とも知り合える!!とても興味深い世界でした。特許事務所で特許業界についての知識をつけ、メーカーでモゾモゾ理系人に囲まれながら技術的知識をつけ、ようやくフリーランス技術翻訳者になることができました。
特許翻訳をするには、常に最先端技術を勉強していかなければなりません。でも、それは、ステキな理系的知識が増えることで、喜ばしいことです。これからも「理系萌え」精神で翻訳をしていきたいと思います。
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