2007年7月16日
出版記念パーティに先立って、神田にて |
70歳 太平洋処女航海
<著者プロフィール> 村田和雄
著者:村田和雄氏への
イ ン タ ビュ ー 発行日:平成19年6月21日 ISBN978-4-901298-08-7 C1010 著者 村田和雄 価格 1800円 消費税別 B6版 約320頁 発行所 (株)エイバックズーム 発行者 堀部 茂遠 |
建築学科卒業後、設計事務所勤務を経て、
2000年フリーランスフォトグラファーとして独立
デジタル撮影を得意とし、現在雑誌・広告等様々な撮影・執筆に挑戦中 植田正治写真美術館フォトコンテスト「ぼくのなつやすみ」大賞、他写真展で多くの受賞 |
【特別企画】インタビュー 著者に聞く
70歳太平洋処女航海 村田和雄氏インタビュー
聞き手+写真:山本まりこ
周囲360度を海に囲まれた島国日本で生きる私達。
2006年、一人の男が70歳という年齢にして太平洋処女航海を成功させた。
インタビュー会場に現れた村田氏。白髪がふわりと揺れ、キリリとした目を持たれたダンディーな紳士。
成功故の「おめでとう」の言葉の重みを噛み締める
山本 「70歳太平洋処女航海ご成功、おめでとうございます!」 村田氏 「どうもありがとう。でもね、これは成功したから言える事ですけどね。処女航海だから成功する確率は50:50%でしたからね。成功していなければ、絶対に出てこない言葉ですからね。」 山本 「そうですね。改めておめでとうございます!」 村田氏 「そうですよ。とても深い意味合いがあるんですよ。」 山本 「村田さん、太平洋処女航海を目指したいと思った切欠は何ですか?また、なぜ太平洋を選んだのですか?」 村田氏 「それはもちろん太平洋が世界で一番大きい海だからですよ。そして、僕が若い頃、堀江謙一さんが太平洋ヨット処女航海を成功させたニュースを知った。それがきっかけですよね。」 山本 「でも、太平洋を航海したいと思う事、その行動を決意する事、そして実際に行動する事では大変な違いがあって、大決心が必要だと思うのですが。」 村田氏 「チャンスがあればあれば…、とずっと思っていましたよ。65歳くらいで、これは本当に可能性がアリそうだなと思いましたよ。65歳でユアサコーションを退任して、デルタ電子の上級顧問を月10日務めるという仕事のリズムをつくりました。だから、自分の時間が出来ましたね。それで小型ヨット、レーザークラスの世界選手権なんかにも出て体を十分に鍛えましてね。そして、それとなく太平洋横断の経験者に70歳の私の体力で大丈夫かを探ってみました。成功した今考えると充分に行ける体力はあったと思いますよ(笑)。」 山本 「私は昔、フォトグラファーを目指して東南アジアに一人旅に出た事があります。その時は、準備もあまりしないで無計画無鉄砲に日本を飛び出してしまいました。本を読んでいると、村田さんの相当の用意周到さを感じました。」 村田氏 「アハハ(笑)。それはね、年の違いですよ。僕の場合はもう70歳でしたからね。そんな無鉄砲な事は出来ないですよ。」 山本 「徹底した船づくり、体力づくりを拝見して、私とは全く違う方だなと。。。」 村田氏 「そりゃ地に足がついていますからね〜!(笑)」 山本 「これからは何かする時はもっと準備してから行動しないと、と考えさせられました。」 村田氏 「でもね、全部が分かっていると面白くないんですよ。仕事をしている時もそうだったけどね、ある程度準備はするけど、ある部分は分かっていない方が好きなんですよ。うっかり地図を忘れた時の旅なんかは面白いね。」 山本 「そうですね。先を知らない、何が起こるか分からない興奮がありますよね。」 村田氏 「そうだね。太陽の位置で大体の方角は分かるしね。英国からヨーロッパを車で5500キロ横断した時なんかはいつも太陽を見て行動していたね。」 山本 「それはとても素敵な旅でしたね〜。でも、随分長いお休みをとられていたのですね。」 村田氏 「ヨーロッパで働いていた時は工場にいたから、夏休みになると工場は2週間シャットダウンしましたからね。仕事も一生懸命だったけど、遊びも一生懸命だったね。仕事と遊びのリズムを上手くバランスをとっていかないとね。いつでも単純に同じような事をしていたら、能力なんて発揮出来ないよ。そういうのを自分で上手くバランスさせると、人生が豊かになりますよね。」 山本 「なるほど。村田さんの豊かさのオーラはそこからきているのですね。私はフリーランスでフォトグラファーとライターの活動しているのですが、今、長い旅に出るには決心が必要ですなんです。」 村田氏 「そうだよな〜。その点僕は気が楽だったからね。この太平洋処女航海には、時間とお金と体力が必要だからね。70歳にして、この三拍子が揃ったから実現出来たんだよ。」 山本 「なるほど。時間とお金と体力ですね。私にはまだまだ足りないものだらけです。いつか3つ揃ったら、何かに挑戦してみたいと思います!」 体力づくりは人生のひらめきの源
村田氏 「実は僕はね、運動会ではいつもビリを走っているような男でした。」 山本 「そうなんですか!体力づくりを始められたのはいつ頃ですか?」 村田氏 「本格的に開始したのは30代の頃からですね。いつも健康に気をつけていますよ。だから、太平洋航海に出るのも、最後の出発の時まで元気ならば決行すると思っていました。」ここで言う元気とは脳梗塞や心筋梗塞にかかっていないということですが。 山本 「具体的にはどんな体力づくりをされているのですか?」 村田氏 「30代の頃から腹筋を始めた。小型ヨットは腹筋が必要です。それからスキー、あとゴルフだね。最近は山登りもしていますよ。家の裏山を5〜6キロ、毎日2時間弱くらい歩いていますよ。」 山本 「沢山のスポーツをしているのですね〜。私は、近所の川辺を歩くくらいしか運動していません。」 村田氏 「少しずつ始めていけばいいよね。毎朝30分体操もしているよ。テレビを見ながら自分であみだした体操!テレビを見ながらゴルフの練習!楽しいですよ。全部我流ですけどね(笑)」 山本 「それは続きそうですね!」 村田氏 「そうそう。長続きさせることが大切ですね。旅に出たときに体力がないとつまらないし、ひらめきもないしね。それは仕事も一緒で、健康であれば最適なジャッジメントが出来ますからね。二日酔いなどで間違ったジャッジをして部下に迷惑をかけたりしてはいけないですよ。今回の船にもお酒は持って行きましたけど、結局一滴も飲みませんでした。最適な健康状態で、最適な判断をして、そこで何かが起こればそれは天命だと思っていましたからね。」 山本 「私だったら、一回くらいは飲んでも…と、きっとお酒を飲んでしまいそうですが。」 村田氏 「アハハ(笑)。それは、僕の場合であって、みんなの場合ではないですからね。お酒を飲んでコンディションが良くなるのであれば飲めばいいし。最適なコンディションを作る、という事が大切ですから。」 山本 「それでは、航海が終わった後に飲んだお酒はさぞ美味しかったのでは?」 村田氏 「ビールを少し飲みましたよ。でもね、ここのところ何年間かお酒を飲まないようにしていたんですよ。お酒を減らしていったんですよね。そうすると、飲まなくてもいい生活になるんですよ。少しだけ飲んで気持ち良くなる、お酒はその程度ですよ。」 山本 「勉強になります。」 最愛の家族の協力の下に
山本 「今回の航海の裏側には、ご家族の皆様の多大なご協力がありますね。」 村田氏 「そうですね、家族にはいろいろ協力してもらったね。妻は全ての食料の手配、長男はコンピューター関係一式手配、次男は道具の手配、長女は私と仲間とのコミュニケーションセンターとしての役割をしてもらったからね。」 山本 「愛のある素敵なご家族ですね。」 村田氏 「みんなにこの航海への参加意識を持ってもらいたかったのです。嬉しい事です。家族が役割分担する事で、親父が勝手な事をしていることには違いないけれど、少しでも冒険を共有してもらえれば、とおもいましたね!」 山本 「なるほど〜。」 村田氏 「でもやっぱり、家族だけには一年前にこの航海への告知をしたのが良かったね。時間の経過と共に理解も深まったしね。」 山本 「でも、最初は反対されたのではありませんか?」 村田氏 「家族はいろいろな反応でしたよ。妻は黙って、長男も少し反対ムード、次男はいいな!と言い、娘は最初泣きしましたよ。船の名前を娘の子供の名前『咲良(さくら)』にちなんで『咲良丸(さくらまる)』にするのも、最初は大反対でした。だから、船と孫の名前は全く違う由来からくるものという事にしました。でも、成功した今は、船の「咲良丸」と孫の「咲良」が、やっと融合したと言うことかな。」 山本 「私がもし妻という立場だったら、心配で仕方がないと思います。奥様の強い反対はなかったのですか?」 村田氏 「女房は、僕が言って諦める男じゃない、というのを解っていますからね。私はそういう人生を歩んできたともいえますね!」 山本 「なるほど。さすが世界で何人もの部下を統括して活躍されてきた村田さんですね。ご家族のコントロールも的確ですもの。」 村田氏 「ワハハハハ!」 山本 「奥様が用意して下さった食料の中で、船の上で一番美味しかった物は何ですか?」 村田氏 「りんごやチョコレート、インスタントのフカヒレのスープは特に美味しかったですよ。女房が私の日常の消費量を計算して全て用意してくれましたからね。食欲がなくならないために、普段の生活で食べるよりも2〜3割抑える工夫もしました。結果的に10キロの減量をしましたよ。」 山本 「素敵な奥様ですね!では、船を上がったら、一番食べたかった物は何でしたか?」 村田氏 「そうだね、うどんが食べたかったかな。お寿司や納豆も食べたかったね〜。」 山本 「私も旅に出ると、納豆がたべたくなります(笑)。船の上で、魚を釣って食べたりはしなかったのですか?」 村田氏 「本にも書いたけど、僕は船の上で魚とか鳥と対話をしていたからね。食料も一杯あったし。だから、そんな気分にはならなかったのですよ。」 山本 「そうでしたか。それでは、船の上で一番楽しかった事は何でしたか?」 村田氏 「子供達が用意してくれた300曲の音楽を聴いたり、その曲に合わせてダンスをするのは楽しかったね。それから、全世界から届く仲間からのメールのレスポンスは特に嬉しかったですよ。」 山本 「みなさんの支えあってのご成功なのですね。」 孤独と死の恐怖
山本 「幼い頃に戦争で空襲体験をされた事などが書かれていましたが、その体験が村田さんにとって、命の大切さなどを知るきっかけになったのですか?」 村田氏 それは直接的には何の関係もありません。「我々人間は、40億年程前からバクテリアが進化して出来た生命連鎖の末端にいる訳です。確率で言えば、天文学的な数値で表される運命の結果選ばれた生命です。だから、僕は与えられた命を大切に生きようと思う。そういう事を自覚する事が、命を与えてくれた(神)へのぼくの感謝のきもちなのです。」 山本 「そうですね。今日ここでお会いできたのも運命の連鎖の結果の出会いですね。」 村田氏 「出会いですね!だから、10歳の時の空襲経験とは関係ありません。その時はただ怖いだけでしたよ。空からはシューと音をたてて爆弾が落ちてきたり、逃げる際には助けてくれると思った兵隊に蹴られたり。涙なんか流す余裕も無かったですよ。涙は冗長ですよ。ゆとりがあるから流れるのですよ。今の人にはゆとりがあり過ぎるかもしれませんね。」 山本 「私も昔、交通事故に遭って救急車で運ばれた事があるのですが、その時は、泣く暇なんて全くありませんでした。」 村田氏 「それは、死を行動しているからですよ。まさに死のingですよ。」 山本 「そうですね。。。あの時私は死と一体になっていたのですね。村田さんは、海の上で何回か嵐に遭い船が横転した事もあったそうですね。その時、死の恐怖を感じたりしましたか?」 村田氏 「まあ、覚悟していたから改めて死を思ったりはしなかったですよ。自分では何も出来ない、なす術がないですから。死の中に入ってしまったら、誰も死なんて考えないですよ。死を実際に行動している訳だから。」 山本 「私は船で中国に行ったことがあります。夜、デッキに出てみたら真っ暗闇でした。一歩外に出るだけでも怖く、孤独を連想しました。村田さんも、相当の孤独を感じたのではありませんか?」 村田氏 「僕は今回の航海は、孤独を味わいに行ったとも言えますからね。それは目的の一つです。」 山本 「そうですか。強い男の意志を感じます。」 未来の夢とメッセージ
山本 「今回70歳で太平洋処女航海を成功されましたが、また太平洋航海をしたいと思われますか?」 村田氏 「海は十分に味わったから、近くの航海はいいけど、大きな航海はないだろうね〜。」 山本 「では、次の目標は何ですか?」 村田氏 「次はね、何が来るか自分でわくわくして楽しみですよ。スキューバーダイビングとか、スカイダイビングとかも興味があるね。」 山本 「それは素敵ですね。是非挑戦してみてください。」 村田氏 「楽しみだね〜。」 山本 「では、最後に村田さんの本の読者、そして村田さんの挑戦に勇気をもらった人、これから夢を行動に移したい人々へのメッセージをお願いいたします。」 村田氏 「小さなチャレンジが出来ないと、大きなチャレンジも出来ません。日々一生懸命に生き、人に寄り掛かるのではなく、自分に対するリーダーシップをとることが夢の実現に繋がります。失敗の恐れがあるならば、失敗を分析して備えを充分にすればいいんです。冒険は無茶ではありません。成功するべくして成功する冒険家を尊敬します。しかし自然相手の場合は100%安全ということはありません。生命の危険があればあるほど、それは面白いでしょう。あなたも人生を存分に味わって下さい。」
企画
(株)エイバックズーム
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